児に嬰う如く卒を視れば、与する之と故に深き谿に赴く可し。

其十4-1

視卒如嬰兒、故可與之赴深谿。

shì zú rú yīng ér、gù kĕ yŭ zhī fù shēn xī。

解読文

①隊長が、子供にまとわりつくように過剰に世話を焼いて兵士達を扱うならば、親しく付き従っている兵士達を率いて、わざわざ外界から遠く離れた山中の川に出かけるべきである。

②人民を可愛がる病気の隊長が、戦地の型「険」に該当する高く険しい山があることをはっきり伝えた上で山中の川を目指せば、兵士達は必ず反対するが同意して切実な様子で遠く離れた山中の川に出かけるのである。

③親しく付き従う兵士達に対して、急に若い女性を犯すように乱暴に扱って高く険しい山で兵士が死亡すれば、その死亡を皆に急ぎ知らせて死体を埋葬し、隊長は生存した仲間達と“死亡事故が起きた事実とその理由”に向き合うのである。

④生存した兵士達の存在が、隊長に罪を忘れさせず、その重みを背負わせた状態にして、人民を可愛がる病気を治すのである。「虚」に繋がる事柄に精通して出かけるようになれば、兵士達はその隊長を心から認めるのである。
書き下し文
①児(こ)に嬰(まと)う如く卒(そつ)を視(み)れば、与(くみ)する之と故(ことさら)に深き谿(けい)に赴く可し。

②嬰(か)かる児(われ)は、卒(そつ)あること視(しめ)して如(ゆ)かんとすれば、之は故(もと)より与(あ)たるも可(き)て深きにして谿(けい)に赴くなり。

③卒(にわか)に児(じ)に嬰(ふ)れる如く視(み)て故(こ)すらば、赴(つ)げて谿(むな)しきを深くし、与(よ)と之に可(あ)たるなり。

④視(い)きる卒(そつ)あるは、児(われ)に故を嬰(か)けしむに如(ゆ)きて可(い)えしむなり。谿(むな)しきを深くして赴かんとすれば、之は与(くみ)するなり。
<語句の注>
・「視」は①あしらう、②明示する、③あしらう、④生存する、の意味。
・「卒」は①兵士、②(山が)高く険しいさま、③急に、④兵士、の意味。
・「如」は①~のようである、②至る、③~のようである、④至る、の意味。
・「嬰」は①まといつく、②病気や災難にかかる、③犯す、④首にかけたり身につける、の意味。
・「児」は①子供、②私、③若い女性の自称、④私、の意味。
・「故」は①わざわざ、②必ず、③死亡する、④罪、の意味。
・「可」は①~すべきである、②同意である、③向き合う、④病気が治る、の意味。
・「与」は①親しく付き従う、②相手に抵抗する、③仲間、④心から認める、の意味。
・「之」は①②③④代名詞、の意味。
・「赴」は①②出かける、③死亡を急ぎ知らせる、④出かける、の意味。
・「深」は①内外に距離が大きい、②切実なさま、③かくす、④精通する、の意味。
・「谿」は①②外界と通じない山中の川、③④空虚であるさま、の意味。
<解読の注>
中國哲學書電子化計劃「銀雀山漢墓竹簡(孫子)」は地刑篇全て欠落しているため、孫子(講談社)及び新訂孫子(岩波)の原文を採用した。
・この句には四通りの書き下し文と解読文がある。①②③④と付番して、それぞれについて解説する。

<①について>
・記述内容を考慮すると其八3-1①「災いを起こす将軍は五種類存在し、自軍に危害を与えるのである」に関連しており、百人編制である中隊を示す「卒」の漢字があることから軍隊内の結束力を強める目的があると考察できるため、主語として「隊長」と補った。

・「卒を視る」の直訳は“兵士をあしらう”となる。現代語の“あしらう”は否定的な印象が強いが、本来は「人を扱う」の意味がある。結果、「兵士達を扱う」と解読。

・「児に嬰う如し」の直訳は“子供にまとわりつくように”となる。これは、子供は未熟な存在であるため親が手厚く世話することと解釈すれば、隊長があらゆる事柄において兵士達の世話を過剰に焼く様子を喩えたと考察できる。結果、「子供にまとわりつくように過剰に世話を焼く」と解読。

・「之」は、「卒」の「兵士達」を指示する代名詞と解読。

<②について>
・「嬰かる児」の直訳は“病気や災難にかかった私”となる。この“私”は、話の流れより①「隊長」と考察。そして、“病気や災難にかかる”は、文意から其八3-2①「兵士達を可愛がることを許容する将軍は、軍隊を掻き乱す」に該当すると考察。但し、兵士達は“人民”であり、可愛がる行為は軍隊の任務内だけとは限らないと推察。結果、「人民を可愛がる病気の隊長」と解読。

・「卒」の“(山が)高く険しいさま”は、漢字の意味より其十1-1①「地勢が険しく堅固に守れる戦地の型「険」」を指すと考察。つまり、戦地の型「険」を利用して「人民を可愛がる病気」を治療する文意と解釈できる。結果、「戦地の型「険」に該当する高く険しい山」と補って解読。

・「如」の“至る”は、①「外界から遠く離れた山中の川に出かける」を踏まえれば山中の川を目指すことと考察できる。結果、未来形で「山中の川を目指す」と解読。

・「之」は、①「卒」の「兵士達」を指示する代名詞と解読。

<③について>
・「卒に児に嬰れる如く視る」の直訳は“急に若い女性を犯すようにあしらう”となる。①「親しく付き従っている兵士達」の扱い方の喩えであり、行為の暴力性を踏まえれば、この兵士達を乱暴に扱うことと解釈できる。結果、「親しく付き従う兵士達に対して、急に若い女性を犯すように乱暴に扱う」と補って解読。

・「故」の“死亡する”は、山中の川に至る途中にある「高く険しい山」で率いる兵士達が死亡することと考察。つまり、隊長自身も「高く険しい山」では自分自身の命を守ることに注力するため、それまで「過剰に世話を焼いて」いた兵士達を気にかける余力がないと推察できる。そして兵士達も、隊長に甘えていたため、険しい場所を生き抜く力が身についていなかったのだと推察できる。結果、「高く険しい山で兵士が死亡する」と補って解読。

・「赴」の“死亡を急ぎ知らせる”は、兵士が死亡した事故について隊長が生存している兵士達全員に急ぎ知らせることと考察。結果、「その死亡を皆に急ぎ知らせる」と補って解読。

・「谿しきを深くす」の直訳は“空虚であるものを隠す”となる。話の流れを踏まえれば、“空虚であるもの”は魂の抜けた肉体を表現していると解釈して「死体」、“隠す”は死体を地中に埋めて埋葬することと解釈できる。結果、「死体を埋葬する」と解読。

・「之」は、「故」の「高く険しい山で兵士が死亡する」を指示する代名詞と解釈。結果、話の流れに合わせて「死亡事故が起きた事実」と解読。

・「与と之に可たる」は、「之」を「死亡事故が起きた事実」と解釈すれば“仲間と死亡事故が起きた事実に向き合う”となる。これは、隊長が生存した兵士達と一緒に死亡事故が起きた事実に向き合うことによって、それぞれが心を入れ替えることが目的と解釈できる。この時、大切なことは事故が起きた理由について考察し、自分達の抱えている問題に直視し、自分達の言動を改めることと言える。結果、「隊長は生存した仲間達と“死亡事故が起きた事実とその理由”に向き合う」と補って解読できる。

<④について>
・「児に故を嬰けしむに如く」の直訳は“私に罪を身に着けさせるに至る”となる。これは、隊長が、過剰に世話を焼いて兵士達を扱った自分の罪を忘れること無く、その重みを背負うことと考察できる。結果、「隊長に罪を忘れさせずにその重みを背負わせた状態にする」と解読。

・「可」の“病気が治る”は、②「人民を可愛がる病気」が治ることと考察。結果、使役形で「人民を可愛がる病気を治す」と解読した。

・「谿」の“空虚であるさま”は、“空虚”の意味から其五1-4①「虚」の「虚弱な“虚”」を指すと考察。つまり、自国又は自軍が危機に陥る状態のことであるため、一般化した記述として「「虚」に繋がる事柄」と包括的な解読にした。

・「之」は、①「卒」の「兵士達」を指示する代名詞と解読。

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