孫子の名言「其の疾きこと風の如く、其の徐なること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」の間違い

孫子兵法「軍争篇」の「其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山」は、武田信玄公の軍旗「風林火山」の文言としてあまりにも有名な名言です。「風林火山」は誰もが一度は聞いたことのあるフレーズと言えるほど広まったため、孫子兵法の戦い方は「風林火山」だと思う人も多いでしょう。しかし、この「風林火山」の教えは、描写された現象を精緻に考察すれば、もっと深い教えが出現する名言です。ここでは、各現象について一つひとつ説明を加えて、その現象から導かれた具体的な軍事行動、戦術の教えを紹介します。

参考:其七4-2 故に、其の疾きこと風の如く、其の徐きこと林の如く、侵して掠めること火の如く、動かざること山の如く、知るを難くすること陰の如く、動かすこと震えて雷す如し。

一般的な書き下し文及び解読文

一般的な書き下し文其の疾(はや)きこと風の如く、其の徐(しずか)なること林の如く、
侵掠すること火の如く、動かざること山の如し。
一般的な解読文風のように迅速に進み、林のように静かに待機し、
火が燃えるように激しく侵略し、山のように落ち着いて守る。

一般的な解釈は、風のように迅速に進み、林のように静かに待機し、火が燃えるように激しく侵略し、山のように落ち着いて守る、といった内容になっています。簡潔に整った句の力強さ、わかりやすい言葉で綴られた解読文による共感のしやすさ、そして、武田信玄公の採用という信頼感と「風林火山」という響きの良さが相まって、この解釈を疑わない人は多いでしょう。

「風林火山」の教えは「難知如陰、動如雷震」と続くことも有名ですが、やはり大切な教えが込められています。名言の範囲には含めていませんが、「当サイトにおける解釈結果と理由」では「難知如陰、動如雷震」の部分についても解説致します。

一般的な解釈に対する疑問点

風林火山の教えに対する疑問点は、まず、それぞれ具体的にどのような状況を説いているのかがわからないことです。

孫子兵法の戦略、戦術は、其一2-4①「自然の摂理とは、日陰と日なたがあり、寒い日と暑い日があり、時間の流れをつくるのである。順応して推し量れば、優れた戦略、戦術ができるのである」とあり、自然現象の記述があれば、必ずその摂理に基づいた具体的な教えが出現します。

しかし、風林火山の教えからは具体的な教えが見えないのです。

その上で、「風」、「林」、「火」、「山」それぞれから得ている意味についても、果たして適当な解釈と言えるのかが疑問となります。

例えば、「風」は行軍等の軍隊行動の迅速さの意味を得ていますが、風は常に強く吹くわけではなく、緩やかな時もあります。どちらかと言うと、風が強く吹く時の方が少ない気もしますが、本当に迅速さの意味合いで良いのか?と疑問が生じます。

次に、「林」から静かな状態の意味を得ている理由は全くわからず、静かな状態が重要であれば、後述される「山」でも良さそうです。つまり、「林」の特徴が全く反映されていない点が疑問です。

また、「火」は激しさの意味を得ていますが、何がどのように激しいのかがわかりません。仮に激しく攻撃する意味合いであれば、自軍が敵軍とせめぎ合う時は、自軍だけでなく敵軍も激しく攻撃してくる可能性は十分にあり、むしろそれが普通と思われます。つまり、当たり前過ぎて、教えになっていないように感じるのです。このように考えると、火の激しさにはもっと深い意味があるのではないか?と疑問が生じます。

そして、「山」については落ち着いた状態の意味を得て、何故か、守りの意味合いが補われていますが、「山」の特徴と防御の繋がりがよくわかりません。そもそも「火」の教えと組み合わせて考えると、自軍と敵軍がせめぎ合う時、激しく攻撃することと、落ち着いて守ることの二つは本当に両立するのか疑問です。

このように考察していくと、「風」、「林」、「火」、「山」から読み取った”自然の摂理”の解釈は、おそらく間違いなのだろうと思い至ります。

当サイトにおける解釈結果と理由

この句は「其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷震」でひとまとまりになっていますが、まずは名言の範囲に合わせて「其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山」だけ解説します。その後、「難知如陰、動如雷震」の解説を加えるようにします。

書き下し文其の疾(はや)きこと風の如く、
其の徐(ゆる)きこと林の如く、
侵(おか)して掠(かす)めること火の如く、
動かざること山の如し。
解読文自軍が勢いよく急いで行軍する時は流動的な風のように
大軍十万は隊列を変化して分断するのであり、

自軍がゆっくりと穏やかに行軍する時は樹木が群がった林のように
集合して大軍十万をまとめるのであり、

正攻法部隊がどんどん攻め込んで敵の逃げ場を奪い取って誘導していく様子は
まるで広がっていく火災が逃げ場を奪って火のない所へ人を導く様子に等しく、

奇策部隊が動かず静止したまま存在に気付かれない様子は
まるで高くそびえた山の存在に注目する人がいない様子に等しい。

話の流れを掴む

この「風林火山」の教えを解釈するために、話の流れを掴む必要があることに驚く人もいるかもしれません。しかし実際には、「風」と「林」は一つ前の其七4-1「故兵以詐立、以利動、以分合變者」の四通り目の解読文から其七4-2「其疾如風、其徐如林」に話が繋がっており、この繋がりを掴んでいないと漢字「其」の解釈で行き詰まります。

ここでは其七4-1の解読根拠については触れず、要となる解読文④「生存した元敵兵達が仲間になっても虚偽の姿勢と見なすのであり、元敵兵達を中隊の真ん中に配置して巧みに動員するのであり、移動する自軍は分断と集合を使うのである」について、話が繋がるポイントだけ解説しておきます。

まず、「移動する自軍は分断と集合を使う」の記述で終わっていますが、この「分断と集合」が其七4-2「其疾如風、其徐如林」に繋がっていきます。結論を先に行ってしまえば、「風と林」は軍隊の「分断と集合」に関する教えになっています。

ここで、大切な前提事項を補足しておきます。漢字「其」は、孫子兵法の中で定義が明示されているわけではありませんが、代名詞として扱う時は「敵の代名詞」になることが全篇を解読した結果からわかっています。その前提に従えば「其疾如風、其徐如林」の二つの「其」は敵軍や敵兵と解読するべきですが、どのように解釈しても「其疾如風、其徐如林」の主語はいずれも自軍以外に考えられません。

そこで「元敵兵達を中隊の真ん中に配置して巧みに動員する」の記述が重要となります。この元敵兵達は奇策部隊が攻め取った元獲物であり、自国に従うならば自軍に編制します。そして、その編制の仕方が「元敵兵達を中隊の真ん中に配置して巧みに動員する」です。つまり、主語となる自軍には”元敵兵達”が含まれているのであり、二つの「其」で表現される主語は「攻め取った元敵兵達(を編制した自軍)」と解釈することになります。

この意味合いは、元敵兵達を加えた自軍であっても「風」のように「分断」して動かすことができ、元敵兵達を加えた自軍であっても「林」のように「集合」させることができる、となります。

なお、この意味合いの重要性と具体的な対処方法については、其十一4-3「敢問、賊可使若衛然虖。曰、可。越人與吳人相惡也、當其同周而濟也、相救若左右手」の「越国人民と呉国人民は互いに中傷するのであり、敵を共有していると見なせば団結して互いに中傷することを止めるのであり、力を合わせて助け合う様子は左右の手のようである」の解読文以降、何句も使って丁寧に説かれています。

「其疾如風」について

まず、前述したように考察した上で、漢字「其」は簡潔に「自軍」と解読します。この句が軍隊の「分断」に関する教えであることは触れましたが、ここでは「分断」に関する教えだと確定できる根拠を説明します。

さて、「風の如し」の直訳は“空気が流動する現象のようである”となります。“空気が流動する現象”という意味は漢和辞典「漢辞海」に掲載されているものですが、この意味だけで必要な風の特徴を捉えることができます。

ここでは「風」の”空気の流動性”を軍隊の流動性の喩えにしていると考察できるのであり、其七3-2①「隊列の型を理解していない将軍は、軍隊を統率して行軍させることができない」の記述があることを踏まえると、軍隊は風のように自由に隊列を変えるとわかります。さらに、侵略戦争の準備について記述された其二1-1「孫子曰、凡用兵之法、馳車千駟、革車千乘、帶甲十萬」に基づけば、孫子兵法の中では「大軍十万」が一つの基準であると推察できます。これら解釈を統合すれば、「流動的な風のように大軍十万は隊列を変化して分断するのである」と解読できます。

次に、漢字「疾」については、軍隊の分断に対する形容と考えれば、最も適合しそうな意味は”急ぐさま”とわかります。但し、「風」の教えが引用された其十三2-5③「正攻法部隊が流動的な風のように分断して動いて、その敵兵達を散り散りに駆け逃げさせて、奇策部隊が待ち受ける」を見れば、この実現には軍隊に勢いが必要と考察できるため、勢いを表現する要素として”ひどく激しい”の意味も採用して掛け言葉と解釈しました。

ここまでを整理すると「其の疾(はや)きこと風の如し」で「自軍が勢いよく急いで行軍する時は流動的な風のように大軍十万は隊列を変化して分断するのである」となります。

「其徐如林」について

「其徐如林」についても「其疾如風」同様に漢字「其」は「自軍」と解読し、「集合」に関する教えだと確定できる根拠を説明します。

さて、「林の如し」の直訳は“群がってはえている樹木のようである”となります。“群がってはえている樹木”の意味も漢和辞典「漢辞海」に掲載されているものですが、「風」同様に、この意味だけで必要な林の特徴を捉えることができます。

まずは、“群がってはえている樹木”の「樹木」について考察します。

「樹木」は簡単に言えば「木」であり、其五5-2「任埶者、戰民也、如轉木石」の「木」が兵士(人民)の喩えであることを踏まえると、林の樹木が群がっている様子を密集した軍隊の喩えにしていると考察できます。そして「風」の教え同様に解釈すれば、「樹木が群がった林のように集合して大軍十万をまとめる」と解読できます。

次に、漢字「徐」については、「風」の教えである漢字「疾」の「勢いよく急いで行軍する」と対応していると仮定すれば、“ゆっくり歩く”と“穏やかなさま”の掛け言葉と解釈して、「自軍がゆっくりと穏やかに行軍する時」と解読できます。

ここまでを整理すると「其の徐(ゆる)きこと林の如し」で「自軍がゆっくりと穏やかに行軍する時は樹木が群がった林のように集合して大軍十万をまとめるのである」となります。

「侵掠如火」について

「其疾如風、其徐如林」は、行軍等における「分断」と「集合」の教えでしたが、「侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷震」は「奇正の戦術」に関する教えに切り替わります。おそらく、後者が「奇正の戦術」に関する教えだと確定できるのは「不動如山」を解釈した時点になると思いますが、ここでは説明の便宜上、予め上位概念を伝えさせて頂きました。

さて、漢字「火」は、何となく軍隊による攻撃の喩えであることはわかるため、とりあえず”火が燃える”現象について考察してみます(厳密は「火」には複数の意味があります)。

まず、ある場所で火が起こった場合、その火はその場所にある物を燃やします。その場所にある物を燃やしながら、同時に隣接している場所に燃え移っていくため、燃える範囲はどんどん広がっていきます。

この時、この”ある場所”に人がいると仮定すれば、この人が取る行動は二種類あると想像できます。一つ目は、その火がまだ小さければ、大きく燃え広がる前に消火することです。もう一つは、その火が激しく燃えているならば、その場から逃げて身の安全を確保します。すると、最初に気付いた時点で手がつけられないほど激しい火がある場合は、その場から逃亡することが自然な選択だと思われます。しかも、一度勢いがついた激しい火はどんどん燃え広がっていくため、人はひたすら逃げ続けることになります。

ここまで「火」の現象について考察すれば、火のような激しい勢いや攻撃力を持った軍隊が出現すれば、その軍隊と対峙した敵は逃げるのであり、火が燃え広がるように逃亡する敵を追いかければ、軍隊がいない方向(火のない場所)に敵が逃げる続けることの喩えになるであろうとわかってきます。そして、「軍隊がいない方向に敵が逃げる続ける」についてさらに考えてみると、これは敵を誘導する作用として機能するという結論に辿り着きます。

ここまでの解釈を踏まえて、具体的な「火」の意味について考えてみます。前述した「火」の現象からすれば、漢字「火」の意味は”火事”や”火災”になるだろうとわかります。どちらの意味を採用しても大差ありませんが、火の作用を用いることで敵に災いを与える結果を期待するため、ここでは”火災”を採用します。

そして、「敵を誘導する作用」があるため、其一5-1③「武器で敵兵を殺そうと見せかける正攻法部隊は、奇策部隊が隠れている場所に誘導するのである」の記述に基づき、「火」は正攻法部隊に関する教えとわかります。

「火」の解釈ができたところで、漢字「侵」と「掠」を確認すれば、それぞれ”攻め込む”と”奪い取る”の意味があり、正攻法部隊が攻め込むこと、敵の逃げ場を奪い取ることを指すと考察できるようになります。つまり、「侵掠」で、火災のような正攻法部隊が攻め込んでいけば敵の逃げ場を奪い取ると記述していることがわかります。

ここまでを整理すると「侵(おか)して掠(かす)めること火の如し」で「正攻法部隊がどんどん攻め込んで敵の逃げ場を奪い取って誘導していく様子はまるで広がっていく火災が逃げ場を奪って火のない所へ人を導く様子に等しい」となります。

<補足>
火攻篇の「火」は、この「侵掠如火」の教えと密接に関連しています。火攻篇では、風林火山の「火」の教えを実行する助けとして「巧みに仕掛ける火災」を使う方法が説かれています。例えば、自軍に警戒して「実」の状態になっている敵軍から、強制的に「実」を奪い取って「虚」に追い込むために「巧みに仕掛ける火災」を使う方法であり、その隙を突いて正攻法部隊が突撃する教え等があります。

<参考>
・其十三3-1「故以火佐攻者明。以水佐攻者強
・其十三3-2「水可以絕、火可以奪

「不動如山」について

続いて「不動如山」の漢字「山」が喩える事柄について考察します。漢和辞典「漢辞海」によれば、”陸地の隆起し高くそびえたった所”の意味があります。

そこで、高くそびえた山を想像してみると、山の高さに感動する人もいるとは思いますが、高くそびえた山が目の前に存在していても、静止したまま動かないため山の存在に注目しない人が大半だと推察できます。

これは「孫子の名言「日に短長有り、月に死生有り」の間違い」の「「日有短長、月有死生」二通り目の解読文」で「敵には奇策部隊が消えたり、出現したりするように見える」と解釈した敵の心境に通じるものがあります。

この解釈に辿り着けば、「山」は奇策部隊に関する教えであり、その奇策部隊が隠れている場面の教えとわかるようになります。なお、実は同等の喩えは其五2-2①「无謁如河海」の「銀河のまとまりに等しく存在を意識されないようにして敵軍に無視されることを奇策部隊に求めるである」等にもあります。

これら喩えにより、奇策部隊は隠れている時、そこに存在していることを敵に気付かれてはならないと説いているのです。この解釈を念頭において漢字「動」を確認すれば、否定「不」があるため”静止状態から変わる”が最も適合するとわかります。但し、”静止したまま動かない”と解読すると描写の要点が少しずれるため、「動かざる」で「動かず静止したまま存在に気付かれない」と補って解読した。

ここまでを整理すると「動かざること山の如し」で「奇策部隊が動かず静止したまま存在に気付かれない様子はまるで高くそびえた山の存在に注目する人がいない様子に等しい」となります。

「火」の教えと合わせて読めば、正攻法部隊はどんどん攻め込んで敵の逃げ場を奪い取って奇策部隊が隠れている場所に誘導していくのであり、奇策部隊は動かず静止したまま存在に気付かれないことで、逃げる敵に「軍隊がいない方向(火のない場所)」があると思わせる「奇正の戦術」の在り方がわかります。

「難知如陰、動如雷震」の補足

ここからは「風林火山」の教えには含まれていない範囲です。しかし、実は「火」と「山」の教えから続いて「陰」と「雷震」までを含めてひとまとまりであり、「奇正の戦術」で敵を攻め取る教えを説いています。

書き下し文知るを難(かた)くすること陰(いん)の如く、
動かすこと震(ふる)えて雷(らい)す如し。
解読文奇策部隊の出撃する場所と時機の識別を難しくさせる様子は
まるで曇り空から変化していく天気を正確に識別できない様子に等しく、

敵軍に節目が生じた時機を見逃さず奇策部隊が出撃して攻め取る様子は
まるで激しい雷が突然一点目掛けて落ちて容易く破壊することに等しい。

「難知如陰」について

「不動如山」で奇策部隊が隠れている場面を記述したことを踏まえると、「難知」の部分は、逃げる敵が奇策部隊の存在に気付かない意味になるだろうと察しがつきます。その上で漢字「陰」を確認すれば、奇策部隊の存在に気付かないことに繋がりそうな自然現象「曇り」の意味があると気付きます。

「曇り」という現象は、「次の天気は晴れるのか、それとも雨が降るのか。雨が降るならば、雨が降る場所はどこか、いつ雨が降るのか」等について、百パーセントの確率で識別できない現象と解釈できます。

つまり、奇策部隊の出現する場所と時機が識別できない状況の喩えと考察できます。

すると、漢字「難」と「知」は、それぞれ”難しくさせる”と”識別する”になると確定できます。

これを整理すると「知るを難(かた)くすること陰(いん)の如し」で「奇策部隊の出撃する場所と時機の識別を難しくさせる様子はまるで曇り空から変化していく天気を正確に識別できない様子に等しい」となります。

この喩えは、逃げる敵に「軍隊がいない方向(火のない場所)」があると思わせる「奇正の戦術」を実行した状態が前提にあるため、逃げる敵が警戒していても「奇策部隊がいる」と確信を持たせないことが大切なのだと考察できます。

「奇策部隊がいる」と確信した敵は、その場所に向かうことはないはずです。しかし、「奇策部隊がいる」と確信できない敵であれば、火のような正攻法部隊がどんどん攻め込んできた時、その場に立ち止まっていると命を失うため、奇策部隊がいない可能性を信じて「軍隊がいない方向(火のない場所)」に向かうしかありません。

「動如雷震」について

最後に「動如雷震」について考察します。原文を眺めて、「不動如山」と漢字「動」が共通しており、何らかの対応があるのではないか?と気が付けば文意を掴む手掛かりになります。

「不動如山」の「動」は、「奇策部隊が動かず静止したまま存在に気付かれない様子」と解読したため、「動如雷震」の「動」は、この奇策部隊が出撃する意味だろうと推察できます。

さらに、これまでの解釈結果を踏まえれば、奇策部隊が出現して、罠にハマった敵を攻め取る文意になると目星がつきます。

おおよその文意を掴めば、「雷震」から読み取れる”自然の摂理”について考えます。まず、漢字「雷」と「震」のいずれも”雷”の意味を持ちますが、「雷」と「震」のどちらが”雷”の意味になるのか、最初はわかりません。そこで漢字のことは一旦置いておき、敵を攻め取る喩えになりそうな雷という現象を考えます。

さて、敵を攻め取る喩えになりそうな雷という現象は、「落雷」であろうと推察できます。YouTube等の動画で確認すればわかりますが、雷が落ちる現象は一点目掛けて瞬間的に落ちて木々等を容易く破壊します。この現象に基づけば、奇策部隊が出現して敵を攻め取る時は、獲物となった敵一点を目掛けて突然に出現し、一瞬で打ち破ることがわかります。

この解釈を念頭において漢字「震」を確認すれば、”雷が落ちる”の意味で「落雷」を表現できるとわかります。さらに“早い”と“激しい”の意味も落雷を描写する意味になると解釈できるため、これら三つの掛け言葉とすれば「激しい雷が突然一点目掛けて落ちる」と前述した現象通りに解読できます。

すると漢字「雷」で悩むことなりますが、前述したように落雷が木々等を容易く「破壊」する現象を引き起こすことに着眼することがポイントです。そして漢字「雷」の”叩く”は、其五1-4①「兵之所加、如以段投卵、實虚是」の「段」の“槌で打つ”と同意であると気付けば、其五1-4①「自分の方に投げられた脆い卵を目にとめて固い木槌で打つに等しく自軍に向かって来る脆い敵軍を認識して固い自軍で打ち破る」の意味を積み上げており、激しい雷が木々等を容易く破壊する様子に繋がると解釈できます。つまり、奇策部隊が出撃すれば、逃げてきた敵を容易く打ち破ることを「雷」で表現していることがわかります。

さらに、漢字「雷」の”叩く”は、其五3-2④「鷙鳥之擊、至於毀折者、節也」の「撃」の“叩く”とも同意です。つまり、其五3-2④「堅固な“実”の奇策部隊を使って獲物となった敵部隊を容易く打ち破る時、獲物となった敵部隊をこの上なく損ない混乱させる理由は、攻め取る節目と時機の判断を下す間者が存在するからである」の意味を積み上げていると考察でき、奇策部隊は「節目と時機」を見逃さずに出撃する意味が「雷」で込められていると解釈できます。この節目は言わば敵軍の弱点であり、「節目」は「逃げる敵」を指しており、この弱点を目掛けて奇策部隊が出撃するとわかります。

この其五3-2④の解釈は奇策部隊が出撃する時の教えと言えるため、漢字「動」の”発動する”の意味に積み上げることとすれば、「動」は「敵軍に節目が生じた時機を見逃さず奇策部隊が出撃して攻め取る」と補って解読できます。

これを整理すると「動かすこと震(ふる)えて雷(らい)す如し」で「敵軍に節目が生じた時機を見逃さず奇策部隊が出撃して攻め取る様子はまるで激しい雷が突然一点目掛けて落ちて容易く破壊することに等しい」となります。

以上で「侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷震」の四つの教えで「奇正の戦術」を実行した時に生じる一連の流れが表現されており、尚且つ、各工程における大切な要点がわかるようになっています。


「風林火山」の教えとして広まっている一般的な解釈とは全く異なる内容ですが、”自然の摂理”に基づいた精緻な教えと言えます。また、この句の教えは、「風」、「林」、「火」、「山」の意味を手掛かりにして他句で頻繁に引用されます。その他句において、ここで紹介した解読文の意味合いは合致するため、適当な解釈ができているだろうと判断しています。

<備考>
当サイトの原文は中國哲學書電子化計劃「銀雀山漢墓竹簡(孫子)」に従うことを基本とし、適宜、孫子(講談社)、新訂孫子(岩波)、七書孫子を参考にしています。

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