孫子の名言「是の故に始めは処女の如くにして、敵人戸を開き、後は脱兎の如くにして敵拒ぐに及ばず」の間違い

孫子兵法「九地篇」の「是故、始如處女、適人開戶、後如脫兔、適不及距」(原文:中國哲學書電子化計劃「銀雀山漢墓竹簡(孫子)」)は有名な名言の一つであり、「始めは処女の如く、後は脱兎の如し」と簡略化されて広まっています。なお、一般的な原文は「適」を「敵」、「距」を「拒」に置き換えて「是故、始如處女、敵人開戶、後如脱兎、敵不及拒。」とされています。

参考:其十一9-7 故に是く始めより、女と処る如くして人を適しましめて、戸を開けしむ後、兎の脱する如くして適えば、距むこと及がざるなり。

一般的な書き下し文及び解読文

一般的な書き下し文是の故に始めは処女の如くにして、敵人戸を開き、
後は脱兎の如くにして敵拒(ふせ)ぐに及ばず。
一般的な解読文このような理由で、
始めは処女のように弱々しくすれば敵は油断して隙を見せるのであり
その後、脱走する兎のように攻撃すれば敵は防ぎきれない。

一般的な解釈は、解説者によって喩えの表現が異なりますが、大体は「始めは処女のように弱々しくすれば敵は油断して隙を見せるのであり、その後、脱走する兎のように攻撃すれば敵は防ぎきれない」といった内容になっています。特に表現が異なる箇所は処女の喩えであり、”物静か”と表現したり、”おしとやか”と表現したり、様々なパターンがあります。

一般的な解釈に対する疑問点

この句に対する疑問点は、大きく二つあります。

一つ目は、何故、処女が「弱々しい、物静か、おしとやか」の喩えになる合理的な理由がないことです。どちらかと言うと、処女とはそのような存在であって欲しいという感情であり、客観的な描写ではないと思われます。

そして、仮に処女が弱々しい存在であっととしても、全ての敵が油断することは無いはずです。むしろ相手軍が弱々しいことで強気で攻める敵の方が多いのではないか?と感じます。

二つ目は、逃走する兎は本当に攻撃を仕掛けるのか?という疑問です。そもそも逃走と攻撃は相反する行動であり、普通に考えると、逃走する時に攻撃のゆとりは無く、その場から消え去ることを優先するのではないかと思われます。比較的弱い動物であろう兎であれば、その傾向はより強くなる気がするため違和感が拭えません。

当サイトにおける解釈結果と理由

書き下し文故に是(ゆ)く始めより、
女と処(お)る如くして人を適(たの)しましめて、
戸を開けしむ後、
兎の脱する如くして適(したが)えば、
距(こば)むこと及(つ)がざるなり。
解読文戦闘に至る以前に、
女性と交際するように門番を金品で満足させて、
敵都市の城壁に設けられた門の扉を開けさせた直後、
兎が茂みの中に逃げ出すように門番が慌てて自軍の中に紛れて順応すれば、
敵軍は、城壁内に突入する自軍を拒否できないのである。

話の流れを掴む

この句を解釈するためには、まず、話の流れを掴んでおくことが大切です。但し、直前の句だけを見ても話の流れを掴めるものではなく、其十一7-8「故其國可拔也、城可隋也」あたりから最後の一句に向けて徐々に教えが展開されていくため、大きな視点で流れを見なければなりません。

しかし、其十一7-8から最後の一句までに十三句もあって、その全てを説明すれば主題がわからなくなるため、搔い摘んだポイントだけ下記にまとめておきます(詳しく知りたい方は其十一7-8から一句ずつ読んでみてください)。

<話の流れのポイント>

<1>
其十一7-8⑧「戦略を実行すれば、敵国を攻め取ることができるのであり、城壁に囲まれた敵都市も同様に、権勢を墜落させて攻め取ることができる」とあり、敵国と敵都市を攻め落とす教えが登場します。

謀攻篇で其三2-5①「敵国の城壁に囲まれた都市を攻め取っても武力で撃つことは非難するのであり、諸侯が治める敵国を攻め落としても敵国に長く留まることを非難する」とあることから、ここから侵略戦争を成功させる教えの最終局面に入ると察しがつきます。

<2>
その後、数句に渡って「敵国と敵都市を攻め落とす」ために必要な教えが少しずつ説かれていきます。

<3>
其十一9-2⑧「非常に数多くの敵里を目指して行くのであり、その敵里を奪い取って陣地にすれば、自軍の権勢を壮大にするのである」とあり、敵国を弱体化させることで自軍の権勢を壮大にする方向性が示されます。


<4>
其十一9-5「適人開闠、必亟入之」で「敵都市を攻め落とす」ための具体的な方法が説かれます。
以下、其十一9-5の重要な句を挙げておきます。

①仮に、敵都市の城壁に設けられた門を門番が開けば、必ず自軍を開いた門に急いで突入させなければならない。

②門番は、度々献上して身の安全を保証すれば、自国に順応して敵都市の城壁に設けられた門を開けるのである。

③城壁の門のように敵都市への突破口となる門番は、献上されて最高限度に達した金品に対して満足すれば、きっと顔つきが和らぐのである。

⑦敵都市の城壁に設けられた門を開けさせることを決行した時、門番は、慌てて自軍の中に紛れて順応するのである。

このように読み取っていくと、堅固な城壁に囲まれた敵都市を攻め落とすことで敵国を弱体化させる決定打を打ち、自軍の権勢を壮大にするのであり、その結果、其七4-4④「戦うことなく相手を抑えつけて完全な状態に保てる道理を使って敵国を抑える」の実現を目指すという流れが見えてきます。

この話の流れが見えると、九地篇最後の一句「是故、始如處女、適人開戶、後如脫兔、適不及距」の重みがわかり、文意も浮かびやすくなります。

「是故、始如處女、適人開戶、後如脫兔、適不及距」について

ここまでの話の流れを掴んでいると、まず「開戶」の二字から其十一9-5「適人開闠、必亟入之」に関連すると察しがつきます。

すると其十一9-5①「敵都市の城壁に設けられた門を門番が開く」に基づき、漢字「開」は”戸を開ける”、「戸」は”門口”の意味を採用して「敵都市の城壁に設けられた門の扉を開けさせる」と解読できます。

これが手掛かりとなって、漢字「人」の“ある種の職能を持つ特定の人”の意味で其十一9-5「門番」と仮定すれば、其十一9-5③「門番は、献上されて最高限度に達した金品に対して満足」に基づいて漢字「適」は”満足する”の意味になるとわかり、「適人」は「門番を金品で満足させる」と解読できます。

ここまで解釈すれば、「如處女」の部分は「門番を金品で満足させる」ことに対する喩えになるだろうと推察できます。その視点で漢字「處(処)」には”付き合う”の意味があり、「女」は”女性”の意味を採用すれば、「如處女」で「女性と交際するように」と解読できます。その結果、「如處女適人」で「女性と交際するように門番を金品で満足させる」と現代社会にも通ずる喩えが出現します。

ここで「如處女適人」がひとまとまりであり、「開戶」で「敵都市の城壁に設けられた門の扉を開けさせる」の意味になるため、「是故始」⇒「如處女適人」⇒「開戶後」で時間が流れていくのだろうと推察できます。

この時間の流れを踏まえて「是故始」について考察すると、「門番を金品で満足させる」前段階であり、敵都市に突入する前だと解釈できます。

その結果、漢字「是」は”至る”、「故」は”事変”、「始」は”以前に”の意味を採用すれば、「戦闘に至る以前に」と解読できます。

この時、「故」の”事変”は敵都市に突入した時の戦闘を指すと解釈しています。

次に「如脫兔」は、「敵都市の城壁に設けられた門の扉を開けさせる」の”後”であるため、其十一9-5⑦「敵都市の城壁に設けられた門を開けさせることを決行した時、門番は、慌てて自軍の中に紛れて順応するのである」に関する喩えとわかります。

その上で、漢字「脱」を確認すれば”逃げ出す”の意味になることはすぐにわかりますが、兎が逃げ出す時の様子は観察しなければ喩えに使う描写が決まりません。そこで”野兎”をYouTube等の動画で調べると、逃げる兎が慌てて茂みに飛び込む様子が観察できます。すると、この”慌てて茂みに飛び込む様子”は、其十一9-5⑦「(門番は)慌てて自軍の中に紛れて順応する」で既に描写されていることに気付くと思います。

そして連鎖的に、二つの目の「適」は”順応する”の意味となり、漢字「後」は”動作や現象が終了した直後”の意味となることが確定し、「如脫兔適」で「兎が茂みの中に逃げ出すように門番が慌てて自軍の中に紛れて順応する」、「開戶後」で「敵都市の城壁に設けられた門の扉を開けさせた直後」と解読できます。

最後に「不及距」は、其十一9-5①「敵都市の城壁に設けられた門を門番が開けば、必ず自軍を開いた門に急いで突入させなければならない」に着眼すれば、敵都市に対する自軍の突入を敵軍が防げない文意が浮かび上がってきます。その文意に従って漢字の意味を確認すると、「距むこと及がず」で“拒否することを継続しない”という仮文ができます。

この“拒否”は、城壁内の敵都市に突入する自軍に対する拒否と考察できるのであり、この拒否を継続しないということは、自軍の突入を少しも拒否できない状態と解釈できます。つまり、「不及距」は「敵軍は、城壁内に突入する自軍を拒否できない」と補って解読できます。

これら解釈をまとめると、書き下し文「故に是(ゆ)く始めより、女と処(お)る如くして人を適(たの)しましめて、戸を開けしむ後、兎の脱する如くして適(したが)えば、距(こば)むこと及(つ)がざるなり」で「戦闘に至る以前に、女性と交際するように門番を金品で満足させて、敵都市の城壁に設けられた門の扉を開けさせた直後、兎が茂みの中に逃げ出すように門番が慌てて自軍の中に紛れて順応すれば、敵軍は、城壁内に突入する自軍を拒否できないのである」となります。

一般的に広まっている「始めは処女の如く、後は脱兎の如し」の意味合いとは全く異なる内容ですが、話の流れに沿っており、尚且つ孫子兵法の教えと不整合になることなく、合理的で納得しやすい解釈が得られたと思います。

<補足>
其十一9-7「是故、始如處女、適人開戶、後如脫兔、適不及距」の、残り七通りに展開される解読文によって、敵都市に突入した後、その敵都市を制圧するまでの具体的な方法論が説かれています。また、漢字「女」や「兎」で様々な喩えが登場しており、興味深い教えとなっています。

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