死ぬも、復すもの生うは、四時の是なればなり。

其五2-4

死而復生、四時是。

sǐ ér fù shēng、sì shí shì。

解読文

①植物は枯れるけれども、次に訪れる季節に向けて土の中に隠れている植物が生育する要因は、四季が規則正しく動くからである。

②四季が規則正しく動けば、植物が消えたように見えても元の状態に戻すだけである。

③次に訪れる季節に向けて土の中に隠れている植物が生育して元の状態に戻るように、正攻法部隊の中で消耗した部隊が生じた時は戦線から離脱させて兵士達を回復させて立て直し、正攻法部隊を構成する各部隊から適切な部隊を正確に判断して戦線に出す。

④正攻法部隊を構成する各部隊は、機会を狙って正確な判断をして、敵に無視させた状態で出撃する準備を整えた奇策部隊を出現させるのである。
書き下し文
①死ぬも、復(ふく)すもの生(やしな)うは、四時の是(ぜ)なればなり。

②四時の是(ぜ)なれば、死す而(ごと)くするも生(た)だ復(かえ)す。

③死すに生(やしな)いて復(かえ)す而(ごと)くし、四つより時を是(ぜ)するなり。

④四つは時(うかが)いて是(ぜ)して、死して復すものは生ぜしむなり。
<語句の注>
・「死」は①草木が枯れる、②消える、③草木が枯れる、④消える、の意味。
・「而」は①逆接の関係を表す接続詞、②③~のように、④順接の関係を表す接続詞、の意味。
・「復」は①覆う、②③元の状態に戻す、④覆う、の意味。
・「生」は①生育する、②ばかり、③生育する、④出現する、の意味。
・「四」は①②③④(あるものの数が)四つ、の意味。
・「時」は①②季節、③(物事を行うのに最も)適切な季節、④機会を狙う、の意味。
・「是」は①②正しい、③④正確な判断、の意味。
<解読の注>
・孫子(講談社)の原文は「死而復生、四時是也。」と「也」が入るが、中國哲學書電子化計劃「銀雀山漢墓竹簡(孫子)」の原文に従った。
・この句には四通りの書き下し文と解読文がある。①②③④と付番して、それぞれについて解説する。

<①について>
・「復」の“覆う”は、話の流れに合わせて「復すもの」で「土の中に隠れている植物」と解読。

・「生」の“生育する”は、次に訪れる季節に向けて植物が芽生える準備であるため、「次に訪れる季節に向けて」と補った。

・「四時」の直訳は“四つある季節”となる。つまり、「四季」と解読できる。②も同様に解読。

・「四時の是なればなり」の意味は“四季が正しいからである”となる。これは其五2-3①「」同様に解釈すれば、「四季が規則正しく動くからである」と解読できる。②も同様に解釈。

<②について>
・「死」の“消える”は、①「植物は枯れる」の植物が主語と考察し、「植物」と補った。

<③について>
・「死すに生いて復す而く」の直訳は“植物が枯れた時、生育して元の状態に戻すように”となる。「生」の“生育する”は、①「生」の「次に訪れる季節に向けて土の中に隠れている植物が生育する」意味を積み上げていると考察すれば、“植物が枯れた時、次に訪れる季節に向けて土の中に隠れている植物が生育して元の状態に戻るように”となる。“次に訪れる季節に向けて土の中に隠れている植物”は“枯れた植物”であるため、戦線で戦って消耗した正攻法部隊と考察。
さらに、”枯れた植物“は、四季のある季節(春夏秋冬の内、いずれか一つ)において枯れているため、正攻法部隊を構成する一部隊が消耗した状態と解釈できる。この解釈に基づけば、「四季」は「正攻法部隊の全て」を指し、「春夏秋冬の各季節」は「正攻法部隊を構成する各部隊」と解釈できる。ちなみに、其五2-3③「解読の注」で解説したように、特に「冬」は「おとり部隊」の役割を担う部隊と解釈できる。
これら「四季」と「春夏秋冬」の解釈に基づき、軍隊に置き換えると“植物が枯れた時“は「正攻法部隊の中で消耗した部隊が生じた時」となり、“次に訪れる季節に向けて土の中に隠れている植物が生育”は「(消耗した部隊を)戦線から離脱させて兵士達を回復させる」となる。そして、“元の状態に戻す”は、消耗して崩れた部隊を元の状態に戻すことになるため、「立て直す」と言い換えることができる。結果、「次に訪れる季節に向けて土の中に隠れている植物が生育して元の状態に戻るように、正攻法部隊の中で消耗した部隊が生じた時は戦線から離脱させて兵士達を回復させて立て直す」と解読できる。

・「四」の“(あるものの数が)四つ”は、①②「四時」の「四季」の意味を積み上げた上で、「春夏秋冬の各季節」は「正攻法部隊を構成する各部隊」を指すと考察。結果、「正攻法部隊を構成する各部隊」と解読。④も同様に解読。

・「四つより時を是する」は“正攻法部隊を構成する各部隊から適切な季節を正確に判断する”となる。「春夏秋冬の各季節」は「正攻法部隊を構成する各部隊」を指すため、この“季節”は「部隊」と解釈できる。また“適切”の意味は、戦線で敵軍と対峙する部隊として適切なのだと推察。結果、「正攻法部隊を構成する各部隊から適切な部隊を正確に判断して戦線に出す」と解読。

・この喩えについて洞察すると、春・夏・秋・冬を各部隊、季節毎に誕生して消えていく動植物を兵士と喩えた表現だと考察できる。大軍隊が交戦する場面を想像すると、まず、戦線にて“春”部隊が戦って兵士“たんぽぽ”や兵士“桜”が負傷、“春”部隊はある程度戦って戦線から離脱するが、次に“夏”部隊が出現して兵士“ひまわり”や兵士“せみ”が戦う。その“夏”部隊もある程度戦った後に戦線離脱して、さらに“秋”部隊が出現する・・・。遂には、立て直した“春”部隊が戦線に戻ってくる、となる。
つまり、一つの部隊が完全に壊滅するまで戦線で戦うのではなく、ある程度戦ったら戦線離脱すると解釈できる。戦線の部隊が消耗する前にどんどん入れ替えていくことで部隊の兵力を保ち、大軍隊を保つと解釈できる。結果、正攻法部隊の大軍が交戦しながらも完全な状態を保つ方法を説いた喩えであることがわかる。

<④について>
・「復」の“覆う”は、其五2-3④「復」で記述された「植物が芽生える準備を意識させない冬のように、出撃する準備を整えて敵に無視させる奇策部隊」の意味を積み上げていると考察。「死」の“消える”意味は“敵に無視させる”状態を指すと解釈し、「死して復すもの」で「敵に無視させた状態で出撃する準備を整えた奇策部隊」と解読。

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