「史記」の孫子伝「孫子勒姫兵」に対する考察

司馬遷が記した「史記」には、孫武が呉王闔閭(こうりょ)に登用された時の有名な逸話があります。「孫子勒姫兵」とは、簡単に訳せば”孫武が、宮中の美女達を兵士に見立てて整え治めた”ということです。詳しい内容を紹介している書籍やサイトは多いため、ここでは簡略化して掲載しておきます。

「孫子勒姫兵」のあらすじ

1.孫子十三篇を読んだ闔閭は、孫武に対して軍隊の指揮をして見せて欲しいと言う。

2.孫武は、宮中の美女180人を二つの部隊に分けて武器を持たせた。

3.闔閭が寵愛する姫二人をそれぞれの隊長とし、合図に応じて左右前後を見る指示内容を教えた。

4.孫武は太鼓を打って命令を下したが、美女達は笑うだけであった。

5.孫武は「指示内容の伝達を徹底できず、兵士達が命令に従わないは将軍の罪である」と言って、改めて何度も指示内容を教えた。

6.再び、孫武は太鼓を打って命令を下したが、美女達はまた笑うだけであった。

7.孫武は「指示内容の伝達は徹底したのに、兵士達が命令に従わないのは隊長の罪である」と言って、闔閭が寵愛する二人の隊長を斬首しようとした。

8.闔閭は孫武を止めようとしたが、孫武は「将軍として任命された以上、軍事においては君命に従えないことがある」と言って斬首を決行した。

9.孫武は、新たに隊長を任命して、もう一度命令を下した。

10.今度は宮中の美女達は、整然と命令に従い、声をたてる者はいなかった。

11.孫武は「すっかり軍隊を整え治めました。水火の中にも赴くことでしょう」と言って、闔閭を呼んだ。

12.しかし、気の殺がれた闔閭は「将軍は帰られたい、私は観に行きたくない」と断った。

13.孫武は「王は兵法の言葉を好まれるだけで、兵法の実践はできないのですね」と言った。

この逸話には残虐な部分があり、孫武が戦わずに勝つ兵法を説いたと解釈する人からすれば正反対の人物像に見えるためか、偽りの物語ではないかと疑問視されることが多いようです。しかしながら、当サイトの解読結果を見れば、この逸話における孫武の言動と教えの内容は矛盾しないため、類似した出来事はあったのだろうと考えています。

「孫子勒姫兵」に通じる教え

「孫子勒姫兵」の逸話に通じる孫子兵法の教えは、地刑篇「視卒如嬰兒、故可與之赴深谿」です。この解読文は下記の通りです。

①隊長が、子供にまとわりつくように過剰に世話を焼いて兵士達を扱うならば、親しく付き従っている兵士達を率いて、わざわざ外界から遠く離れた山中の川に出かけるべきである。

②人民を可愛がる病気の隊長が、戦地の型「険」に該当する高く険しい山があることをはっきり伝えた上で山中の川を目指せば、兵士達は必ず反対するが同意して切実な様子で遠く離れた山中の川に出かけるのである。

③親しく付き従う兵士達に対して、急に若い女性を犯すように乱暴に扱って高く険しい山で兵士が死亡すれば、その死亡を皆に急ぎ知らせて死体を埋葬し、隊長は生存した仲間達と“死亡事故が起きた事実とその理由”に向き合うのである。

④生存した兵士達の存在が、隊長に罪を忘れさせず、その重みを背負わせた状態にして、人民を可愛がる病気を治すのである。「虚」に繋がる事柄に精通して出かけるようになれば、兵士達はその隊長を心から認めるのである。

兵士達を任務に集中させる方法の実演

上記の解読文①②は、隊長の命令に対して兵士達が素直に従わない様子が描写されており、隊長と兵士達が慣れ合いの関係になっていることを示します。これは逸話の4と6の箇所を指しており、将軍からの命令を受けても、隊長(二人の姫)が兵士達(各部隊の美女達)に従わせることができず、笑って有耶無耶にしている様子に対応しています。

上記の句では、続く解読文③④で高く険しい山を行軍することで“死亡事故が起きた事実とその理由”に向き合わせて隊長と兵士達を改心させる教えになっています(この山は断崖絶壁が多い山と思われる)。そして、逸話においては8から10で、新たな隊長と兵士達が改心しているのだと推察できます。

このように改心させれば生存した兵士達は軍隊として正常に機能するのであり、再び「死」に直面しないために任務に集中するのだとわかります。そのため、一見すると残虐に見える孫武の行為は、部隊を全滅させないために犠牲を最小限に留めた一手であり、強いては自国の損害を最小限にする判断となります。これは「完全な状態に保つ上策」を目指したものであり、孫子兵法の教えと矛盾はしていないと言えます(参照「戦略と戦術の基本-1.基本方針」)。

太鼓による命令伝達を実演

次に、孫武が太鼓を使って命令を下していることに注目します。軍争篇「号令では兵士達に伝わらない。だから、太鼓の音を鳴らす」とあるため、太鼓を使って命令を下す行為は孫子兵法の教えと合致しています。つまり、孫武は”太鼓による命令伝達”を闔閭に実演して見せたことになります。

五危の一つを断ち切ったことを示唆

但し、軍争篇「兵士達の耳と目を太鼓の音と旗印に集中させる正しい方法で使用する将軍は、指示の目印を示した上で、褒賞の品によって兵士達を奮い起こすのである」とも記述されており、「褒賞の品」を使って命令を下す行為と、「死」の恐怖によって命令を下す行為とでは、随分と意味合いが異なる印象を受けるかもしれません。

この「褒賞の品」を使う意図は、九地篇「若驅羣羊、驅而往、驅而來、莫知所之」で説かれており、敵軍との戦闘によって苦痛が生じる場面において兵士達を力づけることにあります。一方、逸話の方は、軍隊を整え治める訓練であるため、そもそも場面が異なるのです。

さて、逸話の4と6の状態は、隊長と兵士達が慣れ合う関係を放置すれば軍隊を整え治めることができず、災いを起こす将軍である「五危」の一つ九変篇「兵士達を可愛がることを許容する将軍は、軍隊を掻き乱すのである」に該当します。

さらに、その「五危」に対しては九変篇「自軍に災いを起こす五種類の要旨は、将軍の罪である」、さらに地刑篇「知識を得ても上辺だけだった将軍の罪である」と、逸話5における孫武の発言と合致する教えが登場します。これらを総合的にまとめると、孫武は、隊長と兵士達の慣れ合う関係を許容しなかったのであり、災いの源を断ち切ったことを示唆していると言えます。

君主が軍事の災いになる場合があると示唆

逸話の8で、孫武は「将軍として任命された以上、軍事においては君命に従えないことがある」と発言しますが、これは謀攻篇「君主が軍事機関に赴くことを認めた時、軍事の災いとなる理由には三種類ある」や九変篇「軍事機関を占有する君主の命令は実行してはならない」の教えを示唆していると言えます。

まず、誤解のないように注釈しておくと、この二句の教えは、君主の関与を完全否定しているのではなく、将軍が無能であれば不安を感じた君主が軍事に関与することとなり、君主による軍事の災いを招くと説いています。つまり、孫武の本意は”将軍は君主を不安にさせないように務めよ”です。

この逸話における隊長(二人の姫)の斬首は、五危の一つ「兵士達を可愛がることを許容する将軍は、軍隊を掻き乱す」を回避する目的であるため、有能な将軍の行いとなります。君主である闔閭が介入したことで斬首を取りやめれば、やがて自国に損害を与えることになるため、九変篇「軍事機関を占有する君主の命令は実行してはならない」の教えに従ったのです。

表面的な知識と、実践できる知恵の対比

逸話の最後で、孫武が「王は兵法の言葉を好まれるだけで、兵法の実践はできないのですね」という発言は、計篇「凡此五者、將莫不聞。知之者勝、弗知者不勝」等の教えに繋がるものです。この教えの大切なポイントは下記の通りです。

  • 五種類の教え「道、天、地、将、法」は、耳にしたことがない将軍は誰もいない。
  • 平凡な将軍は、この五種類の教えが大いに評判になっても、誰も実行しない。
  • 五種類の教えに関する知識が、実践できる知恵に達した将軍は敵を抑える。

要約すれば、表面的な知識を得ても、実践できる知恵に達してなければ、戦う前から大いに敗北した状態になるにも関わらず、教えを実行するものはほとんどいないと説いています。このように解釈すると、闔閭が「軍隊の指揮をして見せて欲しい」と孫武に言って実践力を問うたことに対して、孫武は実演した上で「十三篇で説いた教えを王は読まれたはずだが、王はその教えを実行しないのですね」と回答した形になっています。

同時に、表面的な知識だけの者と、実践できる知恵に達した者の違いについて、闔閭と孫武の対比で示しているのであり、謀攻篇「戦略、戦術は、表面的な知識は災いとなるが、自分の知恵にすれば、多くの戦争をしても危険が迫らない」の重要性に触れているのだと言えます。ちなみに「実践できる知恵」は計篇「將者、知、信、仁、勇、嚴也」の「知」であり、孫子兵法全篇通じて、その重要性の説明が何度も繰り返されています。

これは蛇足となりますが、最後の終わり方は、これから登用してもらう立場の孫武が呉王闔閭を腐しており、非現実的な発言と感じます。このような終わり方をした理由を想像してみると、後々、闔閭は孫武の助言を聞き入れずに戦争を決行し、その時の傷が原因となって死亡します。その史実を踏まえて、「史記」において闔閭を腐す狙いがあったのか、又は孫武の優秀さを損なわないことで孫子兵法の良さを主張する狙いがあっての創作と想像できます。

以上のように解釈した結果、孫武の最後の一言は「実践できる知恵」の重要性を強調するために創作された可能性が極めて高いですが、逸話における孫武の発言は孫子兵法の教えと矛盾していないと言えます。むしろ、数多くの教えに触れた逸話であり、よくまとまっていることに驚きます。

<注意>
孫子兵法の考察」ブログは、孫子兵法や孫武に関連する事柄について当サイトが考察した内容に過ぎません。学説的に評価されたものではないため、「こんな解釈をする人もいるんだな」程度でお楽しみ頂ければ幸いです。なお、新たな情報を得たり、新たな気付きがあれば、記事の内容を随時更新してきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。