孫子兵法に登場する「礼楽」について考察

「礼楽」とは、中国儒教における根本的規範であり、礼儀と音楽によって構成されたもののようです。「中国の歴史1 神話から歴史へ 神話時代 夏王朝 (講談社学術文庫)」によれば、その起源は古く、殷王朝によって社会秩序を整えるために制度化されたと考えられます。

孫子兵法における「礼楽」と役割

さて、一般的には諸子百家において「礼楽」に関連する存在は、孔子を代表する儒家を思い浮かべる所ところですが、当サイトの「孫子兵法の構造と解読方法」に従えば、その解読結果より孫子兵法にも「礼楽」に関する記述があるとわかります。

その解読結果を紹介すると、其十一3-3「謹養而勿勞、并氣積力。運兵計謀、為不可賊」の五つ目の解読文であり、次の通りになります。なお、下記の解読文では”礼法”としておりますが、これは漢辞海「謹」に掲載された意味をそのまま採用した結果です。

下働きの者達の疲れを取る将軍は、楽しませる礼法の儀式を計画するのである。おそらく、演奏に合わせて武器を回転させながら舞って大いに国政を害して民衆に危害を加える国家の悪人を改心させる儀式をすれば、停滞していた雰囲気を払拭して、敵人民は穀物を山のように蓄えることに尽力するだろう。

この解読文を正しく理解するための前提を説明しておくと、敵国に侵略した自軍は、敵国の里等を奪い取って陣地に変えて、自国の統治下に置いていきます。その結果、陣地にした敵里等の人民を、自軍に編制することで、敵軍を減らして自軍が強大化させていくことが基本となります。この時、敵里等を豊かな地区に発展させることで、元敵人民を自国に服従させるのであり、最終的には元々所属していた敵国を敵対視するように仕向けていくことが孫子兵法で説かれています。

つまり、前述した「楽しませる礼法の儀式」とは、自国(又は自軍)のために働く元敵人民や自軍の兵士達を慰労する役割と、元々所属していた国を敵対視するように仕向けていく役割の二つを兼ね備えたエンターテインメントだったと推察できます。つまり、孫子兵法における人心掌握術の一つと言えそうです。

孫子兵法における「礼楽」の目的

孫子兵法において「礼楽」に関する記述は二句しかないため(参考:其十一3-11⑤「涙を流す兵士達が礼法の儀式で心持ちを発散させれば、次第に敵と命を取り合う覚悟が表に現れる」)、やはり基本は侵略戦争を成功させるための兵法が主体であり、おそらく「礼楽」については別途各自で学習することが前提と思われます。

何故ならば、敵国に侵略した自軍が、陣地にした里等を統治することは極めて重要な事柄として説かれているのであり、その統治において人心掌握術として有用な「礼楽」を軽んじてはいないだろうと推察できるからです。

孫子兵法における「礼楽」は、表向きはエンターテインメント要素を強調して記述されていますが、その結果が社会秩序及び軍隊秩序を正すことに繋がるであろうと容易に想像できます。そのため、元敵人民や自軍の兵士達に娯楽を与えつつ、結束力を固めて秩序を整えることが目的だったと思われます。

ここで”結束力”と書いた理由は、其十一6-5⑤「所得が少ない地位の兵士達は、敵国の町、村、里、集落にいる身分が低い敵人民に仲間意識を持たせるのである」という記述があるからです。これに基づけば、礼法の儀式には、元敵人民と自軍の若い兵士達が一緒に楽しむことで意気投合させて、そこから仲間意識を持たせて秩序を正しやすくする狙いもあったのではないか?と想像できます。

これら孫子兵法の「礼楽」の在り方は、後世で重んじられる形式とは少し違う印象がありますが、そもそも「礼楽」が社会秩序を整えるために制度化されていった経緯を考えれば、本質的な目的としては合致していると言えそうです。

<注意>
孫子兵法の考察」ブログは、孫子兵法や孫武に関連する事柄について当サイトが考察した内容に過ぎません。学説的に評価されたものではないため、「こんな解釈をする人もいるんだな」程度でお楽しみ頂ければ幸いです。なお、新たな情報を得たり、新たな気付きがあれば、記事の内容を随時更新してきます。

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