一般的に、孫子十三篇は「兵法」として戦争に使うものであり、その「兵法」には孫武の”なるべく戦争はしない方が良い”という思想が説かれていると認識されているようです。そして、(勉強不足の可能性は十分にありますが)それ以上に”何かの含み”があるという仮説に出会ったことはありません。今回は、この一般的に認識されていない”何かの含み”に対する考察をまとめています。
なお、当サイトの解読結果に基づけば、上記の認識の内、孫武の思想と考えられている後者は少し意味合いが違っており、”自他共に損なうような戦争のやり方はしない方が良い”という方針となります。
一般的に認識されていない”何かの含み”とは、このページのタイトルで書いたように政治的な目論見のことを指しています。これは「孫武自身が説いた孫子兵法の追求」の中で『「中国の歴史2 都市国家から中華へ 殷周 春秋戦国 (講談社学術文庫、著:平勢隆郎) 」によれば、多くの書には何らかの政治的な目論見等の含みがあることがわかる』と書いたことに関連しており、同じような含みが孫子兵法にも込められているだろうという当サイトの推察から得た見解です。
各国が諸子百家に求めたもの
大きな流れとして周王朝が滅びた後の戦国時代は、国家の正統主張と領土支配の正当主張の論戦が繰り広げられてきたのであり、その中で徳行を重んじる思想が広がっていきました。どうやら夏王朝、殷王朝、周王朝との繋がりが濃ければ正統主張しやすく、薄ければ領土支配の正当主張について論理を立てる必要が生じたようです。その論理立てで徳行を重んじる思想は重宝されたようです。
詳しくは前述の「中国の歴史2」をお読み頂ければと思いますが、諸子百家自身とその書には、論理の後押しに利用するために体裁を整えたものがあると窺えます。そのため、学派としての諸子百家の呼び方は前漢時代に司馬遷が書いた「史記」で初めて登場したものですが、実際には論客としての役割が強かったのではないかと想像できます。始皇帝が天下統一した後、国家統治に貢献できる儒家と道家以外が衰えたことを考えると、その印象は益々強まります。このように考えていくと、孫子兵法にも政治的な目論見が含まれていても何ら不思議ではないと思い至ります。
孫子兵法には正統性があり、正当性がある
孫子兵法の教えは、「孫武の人物像と孫子兵法の原点に対する考察」で書いたように、黄帝や夏王朝、殷王朝や周王朝、斉国の戦争事例に基づいてまとめられたと考察できます。それを裏付けるように、行軍篇の前半には「凡四軍之利、黃帝之所以勝四帝也」の句があり、黄帝が他の四帝を抑えた軍事についてまとめられています。また、用間篇の終盤には「殷之興也、伊摯在夏」や「周之興也、呂牙在殷」の句があり、夏王朝から周王朝に移り変わっていく流れについて、国家統治や戦略、戦術の視点からまとめられています。
これら”黄帝が用いた軍事”と”殷王朝や周王朝が用いた戦略、戦術”について、わざわざ黄帝、殷王朝、周王朝という固有名詞が添えられる理由について、最初は”過去の”戦争事例に基づいて兵法をまとめたことを示したものであり、過去実績という信頼性の担保と考えておりました。
しかしながら、国家の正統主張と領土支配の正当主張に対する論理の後押しという視点から考えた時、孫子兵法の戦略、戦術は昔の偉大な帝王が用いたという正統性があり、その戦略、戦術を使えば勝利できるという正当性を示すものと解釈できるようになります。つまり、これから覇者を目指す王が使う戦略、戦術として相応しいものだと主張できるのであり、論理の後押しになった可能性が高いと推察しています。
孫子兵法に含まれた政治的な目論見
戦略、戦術の正統性と正当性は、政治的な目論見の一つであり、これ以外にも目論見がいくつか含まれています。
その中で最も大切なものは、最後の一句である火攻篇「道理をはっきり悟っている君主は真心のある法規や決まりを重んじるのであり、善良な将軍は真心のある法規や決まりを厳粛に実行して支えるのである。真心のある法規や決まりは、平穏な国家をつくる道徳規範の原理となるのである」の「真心のある法規や決まり」が王による徳治を示すと解釈できる点です。
「真心のある法規や決まり」は全十三篇において何度も説かれており、真心のない敵国から人民を救済していく意味合いが込められています。つまり、孫子兵法は、徳行を重んじる思想が王にあり、その具体的な実践方法を採用するのだと主張できるものとなっています。つまり、暴力的に他国を侵略するのではなく、苦しんでいる他国の人民を救済するという大義名分が立つようになっています。
徳行の具体的な実践方法とは、
例えば、行軍篇「敵の軍事において軽視されている地方の敵里を統治下に置く」や九地篇「郊外の町、村、里等を奪い取ってもひなびていれば滞在して手厚く与える」とあります。これは敵国の統治が行き届いていない地区を自軍が奪い取って統治下に置くことと言えるのですが、悪政に苦しんでいる敵人民を救済するわかりやすい姿勢と言えます。
この”わかりやすさ”は人民の意識を変えやすい強力な武器であり、自国の徳治は、敵国の他の地区や他国に波及していくだろうと推察できます。それを裏付けるように、行軍篇「広まった真心のある法規や決まりによって敵国の人民を教え導けば、その人民は奴隷と共に降服してくるのである」等の記述があります。
さらに、敵国の統治が行き届いていない地区に対して、九地篇「山の麓の木を伐採することで、あり余る広く平坦な場所を出現させて滞在した上で、兵士達が何度も耕作するのである」のように、未開の土地を開墾して耕作地に変える教えがあります。中国において鉄器が普及したのは戦国時代であり、鉄器の登場によって森林伐採して耕作地を増やせるようになったようです。そのため、敵国の統治が行き届いていない地区には鉄器がなかった可能性が高く、耕作地が不足していた状況が窺えるのです。九地篇の他句では「自軍の正攻法部隊は、三つ又の矛を使って田畑を開拓して管理する」とあるため、おそらく青銅製の武器を使って兵士達に耕作させていたのだと思われます。
また、作戦篇では「主に農耕に利用する大きな牛」を戦争の経費の内訳に挙げており、「中国の歴史3 ファーストエンペラーの遺産」によれば、牛を使った農耕は春秋戦国時代から始まったらしいため、これも貧しい地区にとっては新しくて有難い技術と言えそうです。このように考えると、孫子兵法は、戦争を通じて、敵国の貧しい地区に最新鋭の技術を投入してインフラ整備を提供することを説いたと言えそうです。
また、「中国の歴史2」によれば、西周時代に周王朝に仕えていた技術者が他国に流れたことで、その他国が発展していった経緯が記されています。これに倣ったと思われるのが、用間篇「全ての人民を極めて栄えさせる要旨は、産物をつくる技能に優れた者を、必ず自国に従わせた元敵里に住ませて、元敵人民を産物の生産に励み努力させることで財貨を生み出すからである」等の記述です。つまり、自国の技術者を貧しい地区に移住させて産業を発展させるのです。
これら施策の結果、悪政に苦しんでいた敵地区は自国の徳行に感謝するため、完全に服従させて健全な統治体制が出来上がり、自軍の戦争にも協力してくれるという筋道が立つわけです。つまり、孫子兵法は、徳行を重んじる時代の流れに合致した内容になっていると解釈できるのです。
孫子兵法に込められた政治的な目論見は以上で終わらず、
その参考として、行軍篇「人民の収入を満足させる国家事業を行い、下僕までも対等な存在として筋道を正して善悪を整え、男性一人ひとりが妻を得ることで戦争は完全に終わるのである」等があります。
まず、統治下においた地区に対して「国家事業」を推奨する話が何度も登場します。これは王の徳行だけでなく、富国強兵の思想が含まれることはすぐにわかります。ここから一歩深読みすると、斉の始祖である太公望の祖先が夏王朝初代の禹(う)の国家事業を補佐して有力な一族になった経緯を知っている孫武は、自国に忠誠を誓う有力な大夫を生み出そうとしたのではないか?と推察できます。
普通の人民が個々に豊かになっただけでは”まとまった力”にならない可能性が高いため、富国強兵を効率的に成し遂げるために有力な大夫を生み出して組織的に富国強兵に繋げていく目論見を持っていた可能性を感じます。
この裏付けと言えそうな、九変篇「国家事業を行えば、多くの爵位を持った士大夫に働かせるのである」や、火攻篇「大いに国を豊かにする方法を捧げれば、蓄積した富の優劣を人民同士で争うに至るのである。統治下においた敵国を栄えさせれば、元敵人民は腹を立てることを止めて、自分達の統治者となった自国の君主を大いに認めるのである」等の記述があります。これは統治下においた士大夫や元敵人民に財力を競わせる内容であるため、その競争を経て、やがては有力な一族が出現していくと推察できます。そのため、ここでは有力な大夫を生み出す目論見があったという仮説を立てておきます。
次に、「下僕までも対等な存在とする」記述により、奴隷制度の撤廃又は見直しを主張していたことが推察できます(撤廃と解釈しても良さそうだが、「中国の歴史3 ファーストエンペラーの遺産」より、後漢の光武帝による奴婢解放政策を参考にして”見直し”と加えた)。これも王の徳行を示す政治的な目論見と言えます。中国では1900年代まで奴隷制度が実質的に続いた歴史を考えると、2500年前から奴隷制度の撤廃又は見直しを主張した孫武自身は間違いなく仁深き人物であり、世直しのために本気で尽力されたのであろうと感じます。
そして、「男性一人ひとりが妻を得る」教えは何度か登場しており、より詳しくわかる句として九地篇「陣地にした敵都市に家を建てて、自軍の兵士達一人ひとりに敵都市の未婚女性を嫁がせて居住させるに至れば、両国の人民同士が親しみ合う関係が始まるのである。この両国の人民同士が親しみ合う関係になれば、兎が多くの子供を生むように多くの子孫が生まれて、肩を並べてしっかりその子孫を守るのである」があります。
これは人民同士の血の繋がりによって統治体制を盤石にしていく思想です。どんなに立派な大義名分があっても、侵略された側の国は、侵略者を恨むことは想像に難くありませんが、血の繋がりを持てば子供のために前向きに頑張る姿勢に変わると説いているのです。
以上の内容をまとめると、正統性と正当性のある戦略、戦術を実践することで、自ずと下記7項目の政治的な目論見を果たせるように孫子兵法はまとめられたと考察できます。
- 「真心のある法規や決まり」が王による徳治を示す
- 苦しんでいる他国の人民を救済するという大義名分
- 最新鋭の技術を投入してインフラ整備を提供
- 自国の技術者を貧しい地区に移住させて産業を発展させる
- 有力な大夫を生み出して組織的に富国強兵に繋げていく目論見
- 奴隷制度の撤廃又は見直しを主張
- 人民同士の血の繋がりによって統治体制を盤石にしていく思想
兵法そのものの教えを見ても、敵兵の殺戮や、敵国の里や集落の略奪行為をしないように戒めて、最小限の損害に留めるように説いています。そのため孫武は、一般的には非人道的な行為となる戦争を、自国の徳治を広める活動に変えていく高みを目指したのだと考察できます。
<注意> 「孫子兵法の考察」ブログは、孫子兵法や孫武に関連する事柄について当サイトが考察した内容に過ぎません。学説的に評価されたものではないため、「こんな解釈をする人もいるんだな」程度でお楽しみ頂ければ幸いです。なお、新たな情報を得たり、新たな気付きがあれば、記事の内容を随時更新してきます。 |