殷の興るに之くは、伊摯の夏を在ればなり。

其十二5-1

殷之興也、伊摯在夏。

yīn zhī xìng yĕ、yī zhì zaì xià。

解読文

①殷が栄えた国に変わった理由は、伊摯が夏王朝を観察したからである。

②あの夏王朝は頂点に君臨していたが、盛大に「宮殿の建造」等の国家事業を始めたことで変わったのである。

③夏王朝は鞭打つ処罰に依存して人民を震えさせたことで、反対勢力が形成されるに至ったのである。

④伊摯は夏国を訪れて観察した時、反対勢力が形成された事態に心を痛めたのである。

⑤伊摯は、居場所となる大きな家を反対勢力の人民達に与えて豊かにしたのであり、その反対勢力の人民達を引き立てて、敵から寝返らせても敵と親しく交流する間者として任用したのである。

⑥夏王朝は、反対勢力の機嫌を伺って親切にして戦争に動員したが、殷に従う間者が多かったのである。

⑦殷に従う間者は、夏王朝の正攻法部隊の一部隊に配置されたが、殷の奇策部隊である。激しい雷が突然一点目掛けて落ちて容易く破壊するに等しく、正攻法部隊に隠れていた殷の奇策部隊が突然挙兵して、油断していた夏王朝の各部隊を容易く攻め取ったのである。

⑧殷は、伊摯と、夏王朝に対する反対勢力で編制した奇策部隊を頼りにして、夏国に赴いて挙兵したのである。
書き下し文
①殷の興るに之(ゆ)くは、伊摯(いし)の夏を在(み)ればなり。

②伊(あ)の夏は摯(し)に在るも、殷(さか)んに興して之(ゆ)くなり。

③夏は摯(し)するに在りて殷(ふる)えるに、伊(かれ)の興るに之(いた)るなり。

④伊(い)は夏に摯(し)して在(み)るに、之の興ることに殷するなり。

⑤伊(い)は、在(ざい)たる夏を摯(し)せしめて殷(と)ますなり、之を興こすなり。

⑥夏は、伊(かれ)に在(と)いて摯(し)なりて興すも、之は殷(おお)きなり。

⑦伊(かれ)は、夏に在るも、摯(し)なり。殷なして之に興きるなり。

⑧殷は、伊(い)と摯(し)に在りて、夏に之(ゆ)きて興きるなり。
<語句の注>
・「殷」は①地名・王朝名、②盛んな、③震わす、④心が痛むさま、⑤豊かにする、⑥多い、⑦雷の音、⑧地名・王朝名、の意味。
・「之」は①ある地点や事情に達する、②変わる、③ある地点や事情に達する、④⑤⑥代名詞、⑦彼ら、⑧赴く、の意味。
・「興」は①栄える、②(事業を)始める、③④形成される、⑤引き立て用いる、⑥動員する、⑦⑧起き上がる、の意味。
・「也」は①因果関係を表す助詞、②③④⑤⑥⑦⑧断定の語気、の意味。
・「伊」は①殷王朝成立に貢献した「伊摯」、②遠称「あの」、③彼、④⑤殷王朝成立に貢献した「伊摯」、⑥⑦彼、⑧殷王朝成立に貢献した「伊摯」、の意味。
・「摯」は①殷王朝成立に貢献した「伊摯」、②頂点、③打つ、④至る、⑤掴む、⑥親切なさま、⑦⑧(鳥などの)獰猛なさま、の意味。
・「在」は①観察する、②位置する、③依存する、④観察する、⑤居場所、⑥機嫌をうかがう、⑦位置する、⑧依存する、の意味。
・「夏」は①②③④王朝名、⑤大きな家、⑥王朝名、⑦四季の一つ、⑧王朝名、の意味。
<解読の注>
・この句は中國哲學書電子化計劃「銀雀山漢墓竹簡(孫子)」の原文に従うが、孫子(講談社)の原文とも一致する。
・この句には八通りの書き下し文と解読文がある。①②③④⑤⑥⑦⑧と付番して、それぞれについて解説する。

<①について>
・伊摯(いし)は殷王朝の成立に貢献した人物。

・「伊摯(いし)が夏王朝を観察」とは、夏王朝の桀が悪政を行って国家財政を悪化させていた。この夏王朝の状態を観察して、例えば其十二1-2②「自国内部の景色の優れた土地から収穫があって、真心のある法規や決まりがあれば、毎日、他国人民の一部は我先にと自国に降服してくるのである」を実践できるように、殷を栄えた国に変えたのだと考察できる。

・伊摯が、元々は殷王朝の初代王「湯王(天乙)」の義父の奴隷であったことも、其九5-2⑧「人民の収入を満足させる国家事業を行い、下僕までも対等な存在として筋道を正して善悪を整え、男性一人ひとりが妻を得ることで戦争は完全に終わるのである」等にあるように奴隷、下僕を同じ人間として統治する方針に合致した事例になっていると言えそうである。

<②について>
・「興」の“(事業を)始める”の“事業”は、「宮殿の建造」を指すと思われる。参考にした情報はウィキペディア掲載「桀は自身の宮殿が素朴すぎると感じ、新たな宮殿の建造を命じた。これには7年もの月日を費やし、数万人もの奴隷を働かせ、また、多額の資金を使い切った。農民は憤慨した」である。結果、「「宮殿の建造」等の国家事業を始める」と補って解読。

<③について>
・「摯」の“打つ”は、其九4-26①「敵の隊長が、度々、兵士を鞭打っている理由は、鞭打たれている兵士達の過ちによって、敵軍が行き詰まっているからである」等で記述されている「鞭打つ処罰」を指すと考察(夏王朝は「宮殿の建造」等の国家事業によって“行き詰まっていた”と推察できる)。結果、「鞭打つ処罰」と解読。

・「伊」の“彼”は、話の流れから夏王朝への「反対勢力」と解読した。⑥も同様に解読。

<④について>
・「伊」は、①「伊摯」の意味を積み上げていると考察。結果、人名である「伊摯」と補って解読。⑤⑧も同様に解読。

・「摯」の“至る”は、「伊摯」が視察のために夏国を訪れたことと考察。結果、「訪れる」と言い換えた。

・「之」は、③「伊」の「反対勢力」を指示する代名詞と解読。

<⑤について>
・「之」は、③「伊」の「反対勢力」を指示する代名詞と解読。

・「摯」の“掴む”は、反対勢力の人民達に「大きな家」を掴ませることであるため、与えることと言い換えできる。結果、「反対勢力の人民達に与える」と補って解読。

・「反対勢力の人民達を引き立てて間者に任用する」は、其十二2-2①「敵から寝返らせても敵と親しく交流する間者(反閒)」を任用したと考察。

・「興」の“引き立て用いる”は、「反対勢力の人民達」を殷の兵力として用いることと考察すれば、其十二2-2①「敵から寝返らせても敵と親しく交流する間者」に任用したと解釈できる。結果、「その反対勢力の人民達を引き立てて、敵から寝返らせても敵と親しく交流する間者として任用する」と補って解読。

<⑥について>
・「殷」の“正す”は、「反対勢力の人民達」が夏王朝に従うように考え方を正そうとしたのだと推察。結果、「殷たらんとする」で「考え方を正そうとする」と補って解読。

・「之」は、⑤「之」の「反対勢力の人民達」を指示する代名詞と解釈。この「反対勢力の人民達」は、「伊摯」が「敵から寝返らせても敵と親しく交流する間者」として任用したことを踏まえて、「殷に従う間者」と解読。

<⑦について>
・「伊」の“彼”は、⑥「殷に従う間者」を指すと考察。結果、「殷に従う間者」と解読。⑧も同様に解読。

・「夏」の“四季の一つ”は、其五2-4③「」で説かれた四季(春・夏・秋・冬)の一つであり、春・夏・秋・冬はそれぞれ別個の部隊(正攻法部隊)を喩えている。つまり、「夏」は正攻法部隊の「一部隊」と考察できる。結果、「夏に在る」で「夏王朝の正攻法部隊の一部隊に配置される」と補って解読。

・「摯」の“(鳥などの)獰猛なさま”は、其五3-2①「鷹が獲物の鳥に追いついて強奪する時は、周到に行き届いているのであり、獲物の鳥を傷つけて挫折させる要因は、攻め取る節目と時機が出現したからである」の獲物を強奪する「鷹」を指すと考察。この「鷹」は敵を攻め取る奇策部隊の喩えであるため、「摯」で「殷の奇策部隊」と解読。

・「之」の“彼ら”は、話の流れより「夏王朝の正攻法部隊」の各部隊を指すと考察。結果、「夏王朝の各部隊」と解読。

・「殷」の“雷の音”は、其七4-2①「動かすこと震えて雷す如し」の「敵軍に節目が生じた時機を見逃さず奇策部隊が出撃して攻め取る様子はまるで激しい雷が突然一点目掛けて落ちて容易く破壊することに等しい」を指すと考察。「殷の奇策部隊」は、夏王朝の正攻法部隊の一部隊に配置されていた状況を踏まえると、夏王朝側が対峙している殷の軍隊に注意を向けている隙に乗じて、激しい雷が突然落ちるように挙兵したのだと解釈できる。結果、「殷なして之に興きる」で「激しい雷が突然一点目掛けて落ちて容易く破壊するに等しく、正攻法部隊に隠れていた殷の奇策部隊が突然挙兵して、油断していた夏王朝の各部隊を容易く攻め取る」と補って解読。

<⑧について>
・「摯」の“(鳥などの)獰猛なさま”は、⑦「摯」同様に「殷の奇策部隊」と解釈するが、この奇策部隊を構成しているのは「(夏王朝に対する)反対勢力の人民達」である。この意味合いがわかるように「夏王朝に対する反対勢力で編制した奇策部隊」と解読した。

・「在」の“依存する”は、ここでは頼りにする意味と考察。結果、「頼りにする」と解読。

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