孫武自身が説いた孫子兵法の追求

孫子兵法の作者は孫武ですが、実は、孫武自身が最初に書き上げたオリジナルの内容はわかっていません。現在、日本で販売されている書籍で確認できる孫子兵法は、三国志で有名な魏の曹操が編纂した「魏武注孫子」や、それを元にしたと思われる武経七書「孫子」や「十一家註孫子」に対して、各研究者が原文を少しずつ置き換えたものと言えそうです。つまり、日本で販売されている書籍の原文を解釈しても、孫武自身が説いた教えに辿り着くのはとても難しいはずなのです。

魏武注孫子

ウィキペディアを参照すると、孫子兵法は多くの人に編集や注釈を加えられており、「魏武帝註孫子序」で「解説の文章が多すぎて分かりにくくなっているので、要点のみにして注を行った」と曹操が記述していることが記されています。その「魏武注孫子」は、孫武が書いた孫子兵法から約700年後の書であることを考えても、オリジナルの内容と異なる点があっても何ら不思議ではありません。

また、紀元前500年頃と紀元後200年頃では戦争を取り巻くあらゆる条件が異なるため、その差を補う加筆修正があったと考えるべきだろうとも感じます。さらに「中国の歴史2 都市国家から中華へ 殷周 春秋戦国 (講談社学術文庫、著:平勢隆郎) 」によれば、多くの書には何らかの政治的な目論見等の含みがあることがわかるため、「魏武注孫子」にも曹操による目論見の含みもあるかもしれません。

竹簡孫子

但し、1972年に山東省銀雀山の前漢時代の墳墓から「竹簡孫子」が出土したため、従来の原文との違いを確認できるようになりました。竹簡孫子の作製年代は前134年頃と推定されいるため、「魏武注孫子」から約300年も時代を遡れるのですが、その後に出版される解説本は「竹簡孫子」の原文を採用しても一部のみであり、その結果、従来から続く伝統的な解釈を保っています。

当サイトは「竹簡孫子」で確認できる原文の採用を徹底しており、全く新しい解釈を得ています。そして、用間篇の終盤「燕之興也、蘇秦在齊」で、諸子百家「縦横家」である蘇秦(そしん)による合従策が記述されていることがわかりました。蘇秦による合従策は紀元前318年頃であるため(前述の「中国の歴史2」参照)、竹簡孫子は、孫武が孫子兵法を書き上げてから200年以上の後から、紀元前134年頃までに編集されたと推察できます。ちなみに、始皇帝が天下統一を成し遂げた紀元前221年以降は、諸侯が連合して大国を抑える合従策が実行しづらい時代ではないかと思われるため、始皇帝による天下統一までに編集された可能性が高いと睨んでいます。

オリジナルの孫子兵法は現存しない

当サイトでは「竹簡孫子」の原文を解読していますが、追い求めているものは孫武自身が書き上げた「オリジナル孫子」です。紀元前500年頃の資料が出土しない限りはオリジナルの内容全てを知ることはできませんが、「竹簡孫子」の「魏武注孫子」を比較して原文が同じ箇所はオリジナルのままであろうと推察はできます。

竹簡孫子の原文は中國哲學書電子化計劃「銀雀山漢墓竹簡(孫子)」で確認できるのであり、欠落箇所は多いものの、幸いなことに両者の原文の多くは同じで、部分的に漢字が置き換わっているだけです。「魏武注孫子」と「竹簡孫子」はそれぞれ別個に製作されたため、その共通点はオリジナルのものである可能性が高いと感じます。

なお、「竹簡孫子」は既にオリジナル孫子と大きく異なっていると仮定した時、それを基礎にして改編された注釈付き孫子兵法を曹操が編集したのであれば、必然的に共通点は多くなります。しかし、その場合であっても、比して古い時代に作製された「竹簡孫子」の方が、時代的な条件等も適合部分が多くて編集の必要性が少なくなるため、オリジナルに近いと考えるのは普通でしょう。以上のように考えて、当サイトでは、「竹簡孫子」は改編された箇所は比較的少なく、オリジナルの内容を多く残していると仮説を立てた上で解読作業に着手しました。

これは期待の範囲内ですが、「竹簡孫子」を解読すれば「竹簡孫子」が作製された時代に合った解読文が得られるだけでなく、さらに、オリジナル孫子の内容を推察できる土台になるだろうと考えています。

以上のように考えた結果、「魏武注孫子」は大国同士の戦争のために曹操が編集し、「竹簡孫子」は始皇帝による天下統一を阻止するために誰かが編集し、「オリジナル孫子」は群雄割拠の戦国時代に覇者を目指すために孫武が書き上げたのではないかと感じられます。このオリジナル孫子に対する記述は、竹簡孫子を解読した結果、そこから見えてきた「孫子兵法の原点」に基づいた推察です。

現時点では「竹簡孫子」の解読結果を終えて、伝統的な解釈よりも、孫武の教えに近づけたはずだと満足している次第です。そして、「竹簡孫子」の解読作業を通じて「孫子兵法の構造と解読方法」を掴めた手応えがあるため、その解読方法を用いて、曹操の意図を知るために「魏武注孫子」を改めて解釈してみようと考えております。

<注意>
孫子兵法の考察」ブログは、孫子兵法や孫武に関連する事柄について当サイトが考察した内容に過ぎません。学説的に評価されたものではないため、「こんな解釈をする人もいるんだな」程度でお楽しみ頂ければ幸いです。なお、新たな情報を得たり、新たな気付きがあれば、記事の内容を随時更新してきます。

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