孫子の名言「兵は拙速なるを聞くも、未だ功久なるを睹ざるなり」の間違い

孫子兵法「作戦篇」の「故兵聞拙速、未睹工久也」(原文:中國哲學書電子化計劃「銀雀山漢墓竹簡(孫子)」)は最も有名な名言の一つです。但し、一般的な原文では「工」が「功」に置き換えられており、「故兵聞拙速、未睹功久也」とされています。この漢字の置き換えによって意味合いが変わり、話の流れに従えば全く異なる解釈に辿り着きます。

参考:其二2-3 故に兵は、拙たるも速やかにすることを聞くも、未だ工みにするものの久しくすること睹ざるなり。

一般的な書き下し文及び解読文

一般的な書き下し文兵は拙速なるを聞くも、未だ功久なるを睹ざるなり。
一般的な解読文戦争では、まずい点があっても素早く切りあげることはあっても、
上手に長引かせた事例は聞いたことがない。

一般的な解釈は、大抵の場合は「戦争では多少まずい点があっても早く切り上げるのが良い」と要約されており、解釈者によって様々なニュアンスが加えられているようです。「巧遅拙速」の言葉で、仕事は下手でも早い方が良いという意味で使われたりもしています。

一般的な解釈そのものは大きな間違いはないのですが、「”何”にまずい点があっても素早くきりあげるのか、”何”を上手に長引かせるのか」が不明瞭になっています。そのため、自由な解釈がなされて、本意からのズレが生じているのではないか?と推測します。

一般的な解釈に対する疑問点

まず、「兵は拙速なるを聞くも、未だ功久なるを睹ざるなり」を孫武の教えとしている点ですが、「戦争では、まずい点があっても素早く切りあげることはあっても、上手に長引かせた事例は聞いたことがない」と解読できるように”聞いたことがない”のであって、この解読文そのものは一般論と解釈するべきです。

これは蛇足ですが、ここから展開された残り三つの解読文は、孫武の教えと言える内容になっています(注:孫子兵法は一句で四通り又は八通りの解読文が成立します)。

その上で、「”何”にまずい点があっても素早くきりあげるのか、”何”を上手に長引かせるのか」について考える時、この句までに記述された内容を掴んでおく必要があります。その内容は、戦争を仕掛けるためには大量のヒト・モノ・カネが必要なことであり、戦地に長く留まればヒト・モノ・カネが尽き果てて軍隊が疲弊することです。

このように話の流れを掴むだけで、後半「長引かせる」は戦地に長く留まることを指すとわかり、前半「素早くきりあげる」は戦地から離れることだとわかります。すると「何かにまずい点があっても戦地から離れる」と「上手に戦地に長く留まる」と解釈できますが、”まずい点”と”上手”が指す状態が釈然としないため、わかりそうでも実はよくわからない内容になります。

そもそも「拙速」及び「功久」について二つの漢字を一つの用語として捉えた時点で既に曖昧になっています。さらに漢字「工」が「功」に置き換わっているため、元々説かれていた教えに辿り着けなくなっていると思われます。

当サイトにおける解釈結果と理由

書き下し文兵は、拙たるも速やかにすることを聞くも、
未だ工みにするものの久しくすること睹ざるなり。
解読文戦略、戦術は、
鈍くて下手な具合になって展開を速めた事例を耳にすることはあっても、
今まで、得意とする将軍が戦地に長く留まることを了解した事例はないのである。

前述したように話の流れを踏まえれば、この句の要点は「戦地に長く留まること」を否定することです。その上で「拙速」について、それぞれ一字ずつ確認すると”鈍く下手なさま”と”速める”の意味があるため、「拙速」を丁寧に説明すれば「鈍くて下手でも”何か”を速める」ことだとわかります。そして、この”何か”は漢字「兵」で示していると容易に推察できます。

すると、この”何か”は、漢字「兵」の”戦略、戦術”の意味であり、其一6-1①「将軍が朝廷で戦略、戦術の計画を立てて勝利を得る要因は、実現した計画が多いことにある」で記述された「戦略、戦術の計画」を指すと考察できます。つまり、「拙速」とは「鈍くて下手でも戦略、戦術の計画を速める」ことだと解釈できるのです。上記の解読文では「展開を速める」と言い換えていますが、その理由は、計画を速めるということは計画を中断したり、捨てることではなく、素早く計画を実行していく意味合いだと考察したためです。

次に「工久」について、それぞれ一字ずつ確認すると”得意とする”と”長くとどまる”の意味があるため、「”何か”を得意とする者が長く留まる」となります。この”何か”も漢字「兵」の”戦略、戦術”がかかると解釈すれば、話の流れを踏まえて「戦略、戦術を得意とする将軍が戦地に長く留まる」と解釈できます。さらに、漢字「睹」には”了解する”の意味があるため、「戦略、戦術を得意とする将軍が戦地に長く留まることを了解した事例はない」という解釈に至ります。

同句の二つ目の解読文では、其二2-3②「軍隊に災いが生じて困窮している状態と報告を受ければ、将軍は戦略、戦術を速めるのであり、過去の戦争事例から未来の展開を明らかにするのである」と解読できたことからも、孫武が説く教えの要点は「常にヒト・モノ・カネの状況を把握することが大切であり、状況に応じて適切に計画に軌道修正していく」ことと思われます。

<補足>
当サイトで掲載している孫子兵法の解読文は、一句に対して四通り又は八通りを掲載しています。このように解読できる理由等について関心のある方は「孫子兵法の構造と解読方法」を参照にしてください。

孫武が説く要点と解釈した「常にヒト・モノ・カネの状況を把握することが大切であり、状況に応じて適切に計画に軌道修正していく」は、謀攻篇「自他を問わず、国家を完全な状態に保つことを上策と見なす」の前提にある考え方だと推察します。また、間者を駆使する姿勢も「ヒト・モノ・カネ」の損失を最小限に留めて目的を達成するこの考え方に基づくものだと解釈できそうです。

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