孫子の名言「廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり」の間違い

孫子兵法「計篇」の「夫未戰而廟筭勝者、得筭多也」(原文:中國哲學書電子化計劃「銀雀山漢墓竹簡(孫子)」)は有名な名言の一つです。但し、一般的な原文では「筭」が「算」に置き換えられており、「夫未戰而廟算勝者、得算多也」とされています。この漢字「算」の印象のためか、「勝算」に関する記述と解釈されていますが、そこに疑問点があります。

参考:其一6-1 夫れ、未に戦いあらんとするに而の廟に筭して勝ちあるは、筭を得ること多ければなり。

一般的な書き下し文及び解読文

一般的な書き下し文未だ戦わざるに廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。
一般的な解読文開戦前に廟算して勝つのは、
五事七計に従って考察した結果、勝算が多かったからである。

一般的な解釈では、計篇中盤までで「五事七計」の記述があるためか、その「五事七計」で考察することで勝算の有無を判断する内容になっています。何となく正しそうな感じもしますが、五つの教え「道、天、地、将、法」は災いを減らすための軍事行動を学ぶための学習科目のタイトルのようなものであり、これ自体で勝算を判断し得るものではありません。又、「主孰賢、將孰能、天地孰得、法令孰行、兵衆孰強、士卒孰練、賞罰孰明」の七項目は比較分析と言えますが、各内容は概念が大きく、戦争における各局面において勝算を判断し得るものとは思えません。そのため、五つの教えと七項目に関する補足は不適切だと思われます。

蛇足ですが、「五事七計」という表現は孫子兵法に記述されたものではなく、漢字の意味と内容を照らし合わせると相応しくないと考えています。

一般的な解釈に対する疑問点

まず、最初に浮かぶ疑問点は、開戦前に勝算を判断できるのか否か?です。そもそも勝算というからには、この比率を求める計算式が必要となります。その戦争において起こり得る全ての局面を見通して数え、勝利に至る場合の数を集計できるならば成り立つかもしれません。しかしながら、状況を変化させる要因が多過ぎるため、全ての局面を見通すことは現実的に不可能と言えます。

これ以外には、例えば「主孰賢、將孰能、天地孰得、法令孰行、兵衆孰強、士卒孰練、賞罰孰明」の七項目のようなもので定量化して比較分析すれば可能かもしれませんが、意味の異なる七項目を統一的な視点で定量化することも不可能であり、各局面における状況に応じて定量化しようと思えば、さらに難易度は高まります。やはり、前述したように七項目は勝算を判断し得るものではないと思われます。

次に出て来る疑問は、仮に勝算を判断できたとして、それだけで「勝算が多い=戦争に勝つ」と説けるものだろうか?という点です。事前に入手できるデータだけで勝算が多くても、やはり実戦では常にあらゆる条件が変化し続けるはずですから、必ずしも勝利を得るとは言えないはずです。

このように考えていけば、「廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり」の教えは勝算のことは言っていないのだろうと思い至ります。

当サイトにおける解釈結果と理由

書き下し文未に戦いあらんとするに、
而の廟に筭して勝ちあるは、筭を得ること多ければなり。
解読文将来に戦争が起こりそうな時に、将軍が朝廷で戦略、戦術の計画を立てて、
勝利を得る要因は、実現した計画が多いことにあるのである。

この句を解釈するために、明らかにしないといけない点は「”何が”多ければ勝利を得るのか」です。この視点で漢字「筭」の意味を確認すれば「計画」と記載されており、さらに漢字「得」には”実現する”の意味があるため、驚くほど簡単に答えが得られます。これは少し手前の記述で「戦略、戦術とは、人を欺く手段である(兵者、詭道也)」とあることから、戦略、戦術を実現するための計画を指すことがわかります。※一般的な解釈では「兵者、詭道也」を「戦争は騙し合い」とするため解読しづらくなっています。

「戦略、戦術を実現するための計画」の意味を正しく理解するには、事業計画書をイメージすると良いでしょう。事業計画書には、事業戦略という方針、営業戦術という手段が記載された上で、それを実行していく計画が記されたものであり、これと同じことです。

また、二句後で其一6-3②「戦略、戦術の計画を重んじる将軍は計画を削ったとしても、無視できる状況を計算している」と記述されていることからも、将軍は戦争の始まりから終わりまで綿密に計画を立てた上で軌道修正していくことがわかり、話の辻褄がよく合います。

なお、前半部分は大きな解釈の違いはないため、解説は割愛させていただきます。

<補足>
「勝利を得る要因は、実現した計画が多い」について、これを成し得る理由は行軍篇の其九5-1④「将軍は大いに戦況が一致する過去の戦争事例から未来を予測するうえに、さらに過去の勝ち戦を大いに鑑定し、その勝ち戦を恭しく細部まで再現することを決行する」から推察できます。つまり、孫子兵法における戦略、戦術の計画とは、過去の戦争事例を適合させて使うのだとわかります。そして、勝ち戦を恭しく細部まで再現するための教えが随所に記述されています。

このように「戦略、戦術を実現するための計画」があると解釈して全篇を読んでいくと、教えの堅実さを深く受け止めることができ、孫子兵法は「王道を完璧にやり切る教え」だとわかってきます。

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