孫子の名言「道とは、民をして上と意を同じくせしむる者なり」の間違い

孫子兵法「計篇」の「道者、令民與上同意者也」(原文:中國哲學書電子化計劃「銀雀山漢墓竹簡(孫子)」)は有名な名言の部類には入らないと思いますが、孫子兵法における「道」の解釈を左右する大切な一句であるため名言の間違いシリーズに加えました。

参考:其一2-2 道は、民と上の意を同じくせしむなり。

一般的な書き下し文及び解読文

一般的な書き下し文道とは、民をして上と意を同じくせしむる者なり。
一般的な解読文道とは、人民と統治者の考えを一致させる政治の在り方である。

一般的な解釈では、漢字「道」はそのまま”道”と解読しつつ、さらに漢字「道」の”統治する”の意味を汲み取って「政治の在り方」等の記述が加えられています。つまり、孫子兵法における「道」は、政治の在り方を説いたことになります。

一般的な解釈に対する疑問点

「道」は、5つの教え「道、天、地、将、法」の最初に挙げられている項目であるため、本来ならば孫子兵法全篇通じて最も頻出しても良いはずです。しかしながら、「政治の在り方」について説かれた内容は、当サイトの解読文だけでなく、一般的な解釈を見てもほとんど記述されておりません。なお、法規や役人に関する事柄は政治的な内容ではありますが、これらは「法」の内容と定義されています。

孫子兵法の冒頭で「戦争は国家における重要な軍事行動である」と始まることを踏まえれば、5つの教え「道、天、地、将、法」は軍事に直結する事柄であることは容易に察することができます。しかし、「道」が”政治の在り方”だと解釈すれば、政治の在り方によって軍事を行う教えが孫子兵法に登場しなければ辻褄が合いません

そもそも、同句の結論は「人民と統治者の考えを一致させる」であるが、いかなる事柄に対しても賛成意見と反対意見の両方が存在するのが普通であるため、「政治の在り方」そのものだけで考えが一致するとは考えづらいものです。つまり、考えを一致させるためには何らかの作用が必要であり、「人民と統治者の考えを一致させる政治の在り方」という解釈では論理展開の欠落が生じると思われます。

当サイトにおける解釈結果と理由

書き下し文道は、民と上の意を同じくせしむなり。
解読文道理とは、人民と君主の考えを一致させるものである。

この句において、最も大切なことは「人民と統治者の考えを一致させる」ことです。この”考えを一致させる作用”について、漢字「道」が指し示すのであれば、辻褄の合った解釈となります。その上で、漢字「道」の意味を確認すれば、”物事の正しい筋道”や”理(ことわり)”を意味する「道理」と解釈できます。”物事の正しい筋道”は、自国の行為に対する正しさを主張できる根拠であり、”理(ことわり)”はある行為に対して一定の結果が得られる必然的な法則と言えます。

孫子兵法の「道」を「道理」という大きな概念で定義すれば、あらゆる範囲で作用する法則となるのである。例えば同句であれば、話の流れに基づけば「中国全土を統一すれば戦争が無くなる道理」と解釈できるのであり、乱立している国々を1つにまとめれば、戦争する相手そのものが存在しえないのは、まさに道理と言える。これは孫子兵法の中に登場する最も大きな概念の「道理」です。

その他、木石の性質に基づいた説かれた其五5-3②「道義的に正しくすれば国に宿り、正しさが厳格過ぎれば人民の心は自国から離れていく」という人民の資質は、自国の人民を支配したい君主や将軍(上)と支配される人民(民)の間で働く法則となるため、道義的に正しくすることは人民を自国に宿らせる「道理」だと解釈できる。

さらに、其十一4-2②「敵軍が自軍の前方部隊を攻めれば後方部隊が援護に行き、敵軍が自軍の後方部隊を攻めれば前方部隊が援護に行き、敵軍が真ん中にある本隊を攻めれば前方部隊と後方部隊が揃って援護に行くのである。そうして防御する正攻法部隊は、いつまでも山のように動かない敵軍に、蛇の道理を働かせるのである」の「蛇の道理」は、敵軍を操りたい自軍の将軍(上)とその将軍に操られる敵兵達(民)の考えを一致させる法則と言える。

<補足>
孫子兵法「道」を「道理」と解釈した場合、「天」の「自然の摂理」との違いがわかりづらいと思う人もいると思います。「自然の摂理」は”ある条件を満たした時に一定の結果を矛盾なく生じさせる自然界の法則”であるため、「道理」の”ある行為に対して一定の結果が得られる必然的な法則”とよく似ています。
この違いについて、プログラム言語で喩えるならば「自然の摂理」は関数のようなものであり、言わば「システム」です。それに対して「道理」は、システムに対するインプットとアウトプットの関係が主であり、因果関係を簡潔に表現したものと言えます。
そもそも、「道理」はあらゆる理(ことわり)に基づいた法則全般であり、「道理」の中には「自然の摂理」を道具として用いた法則もあると解釈することができます。このように考察すれば、孫子兵法の「道」と「天」の意味を区別して解釈できると思います。

このように解釈して、自国の君主や将軍の思惑通りに人を動かすための必然的な法則が「道」であると結論付けて解読いたしました。

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