孫子の名言「呉人と越人の相い悪むや、其の舟を同じくして済りて風に遇うに当たりて、其の相い救うや左右の手の如し」の間違い

孫子兵法「九地篇」の「越人與吳人相惡也、當其同周而濟也、相救若左右手」は「呉越同舟」で有名な名言です(原文:中國哲學書電子化計劃「銀雀山漢墓竹簡(孫子)」)。但し、一般的な原文は「吳人與越人相惡也、當其同舟而濟遇風、其相救也、如左右手」や「越人與吳人相惡也、當其同舟而濟也、相救若左右手」としており、「呉越同舟」で有名にも関わらず、漢字「舟」が「周」に入れ替わっています。

参考:其十一4-3 敢えて問う、賊も使う可きに然える衛りの若き虖。曰く、可きなり、越人と呉人は相い悪るなり、其の同じくすると当てれば周して済むなり、相い救うは左右の手の若し。

一般的な書き下し文及び解読文

一般的な書き下し文呉人と越人の相い悪(にく)むや、
其の舟を同じくして済(わた)りて風に遇うに当たりて、
其の相い救うや左右の手の如し。
一般的な解読文呉国の人と越国の人は互いに憎み合っているが、
同じ舟に乗って川を渡って、台風に遭遇した時に、
彼らは互いに助け合う様子は左手と右手のようである。

一般的な解釈は、呉国の人と越国の人のように仲の悪い者同士でも、同じ舟に乗って川を渡っている時に台風に遭遇すれば、無事に川を渡り切るために互いに助け合う文意となっています。この句を元にした言葉「呉越同舟」は、仲の悪い者同士でも、困難な状況において共通の目標があれば強力し合う教えと解釈されています。

しかしながら、元々の原文には、一般的な解釈において大切な要素となる漢字「舟」がなくて”川を舟で渡る描写”は存在しないため、本来伝えようとしていた事柄について改めて考察していくことになります。

一般的な解釈に対する疑問点

疑問の有無以前の問題として、そもそも竹簡孫子の原文に漢字「舟」は存在していないため、一般的な解釈である「同じ舟に乗って川を渡って、台風に遭遇した時に彼らは互いに助け合う」に対して考察する意味はありません。

実は、生じる疑問は、漢字「風」を「台風」と解釈する点がこじつけのように感じる点くらいしかなく、他の部分に対する解釈は大差がありません。

そのため、他に特筆することも無いため、今回は疑問点に対する記述は割愛します。

当サイトにおける解釈結果と理由

書き下し文越人と呉人は相い悪るなり、
其の同じくすると当てれば周して済むなり、
相い救うは左右の手の若し。
解読文越国人民と呉国人民は互いに中傷するのであり、
敵を共有していると見なせば団結して互いに中傷することを止めるのであり、
力を合わせて助け合う様子は左右の手のようである。

この句は、この原文だけでも十分に解釈できますが、直前の記述内容を知っていると、さらに意味が理解しやすくなります。そこで其十一4-3①「敢問、賊可使若衛然虖。曰、可」の解読文を紹介しておくと「失礼ながらお聞きます。自国に歯向かう元敵兵達も働かせなければならない時は火災のようにどんどん攻め込む正攻法部隊のようであるか?孫先生は「適合するのである」と説く」となります。

これは、自国の人民で構成された自軍に奇策部隊が攻め取った敵兵達を編制した時、その元敵兵達は正攻法部隊の一員として元々は仲間だった敵軍を攻めることができるのか?という問いに対して、孫武が「できる」と答えている内容です。ここには、自国の人民と元敵人民は協力し合えるのか?という疑問と、元敵人民は元々は仲間だった相手を敵と見なせるのか?という疑問の二つがあり、その答えを「越人與吳人相惡也、當其同周而濟也、相救若左右手」で説く、という話の流れになっています。

さらに補足すると、この孫武が兵法を説明している相手は呉国の君主や将軍等であるため、具体的な、呉国の人民と元越国の人民は協力し合えるのか?元越国の人民は母国である越国を敵と見せなるのか?という問いに切り替えることで、聞き手が説明内容をイメージしやすいように工夫したのだろうと推察できます。

「越人與吳人相惡也、當其同周而濟也、相救若左右手」について

この句について「越人與吳人相惡也」の部分は「越国人民と呉国人民は互いに中傷するのである」と解読し、一般的な解釈と大差はありません。そのため、改めて解釈が必要となる「當其同周而濟也」から解説を進めていきます。

まず、漢字「其」は、孫子兵法の中で定義が明示されているわけではありませんが、代名詞として扱う時は「敵の代名詞」になることが全篇を解読した結果からわかっているため、文意から考えると「其」は”敵国又は敵兵達”と目星がつきます。

その上で、漢字「同」を確認すれば”共有する”の意味があり、さらに漢字「当」には”(ある物事が一致していると)見なす”の意味があるため、「當其同」の部分で”元越国の人民は母国である越国を敵と見せなるのか?”に対する記述があるのだろうと察しがつき、「敵を共有していると見なす」と解読できます。

続く「周而濟」は、一般的な原文で「舟」とする漢字が「周」に置き換わっています。その漢字「周」を確認すれば”団結する”の意味があり、”呉国の人民と元越国の人民は協力し合えるのか?”に対する記述になることがわかります。そして、漢字「済(濟)」を見れば”停止する”の意味があり、これは「越人與吳人相惡也」の「越国人民と呉国人民は互いに中傷するのである」から流れを考えれば、越国人民と呉国人民が互いに中傷することを止めることと考察できます(注:「而」は”順接の関係を表す接続詞”です)。

その結果、「當其同周而濟也」の部分は「敵を共有していると見なせば団結して互いに中傷することを止めるのである」と解読できます。これで二つの疑問に対する結論を述べていますが、少し抽象的な内容になっています。しかし、さらに具体的な内容が七通りに展開される解読文で丁寧に解説されているため、実は、よくある「結論から伝える構文」になっています(参照:孫子兵法の構造と解読方法)。

最後の「相救若左右手」の部分は「力を合わせて助け合う様子は左右の手のようである」と解読しており、「越人與吳人相惡也」と同様に一般的な解釈と大差はありません。しかし、一般的な解釈では左手と右手が助け合う意味について詳しく説明されていないため、簡単に説明を加えておきます。

例えば、本を手に取って読む時は、意識することなく、左手と右手が巧みに連動して本を持ったり、ページをめくる動作を行えるはずです。この時、”本を読む”という一つの目的を達成するために、左手と右手は力を合わせて助け合っていると言えます。このように互いに補い合う様子が喩えの主たる意図と推察できます。

さらに、右利きの人であれば、ご飯を食べる時は右手で箸を使って左手で茶碗を持つと思います。この時、主となる右手を補佐するように左手が動きます。つまり、右手は呉国の人民であり、左手は元越国の人民の喩えであり、達成するべき目的があれば元越国の人民呉国の人民を補佐することを示唆したと思われます。なお、これら解釈を解読文に含めると逆に複雑でわかりづらくなるため、敢えて解読文には反映しませんでした。

以上の解釈をまとめると、書き下し文「越人と呉人は相い悪るなり、其の同じくすると当てれば周して済むなり、相い救うは左右の手の若し」で「越国人民と呉国人民は互いに中傷するのであり、敵を共有していると見なせば団結して互いに中傷することを止めるのであり、力を合わせて助け合う様子は左右の手のようである」と解読できます。

<補足>
「敵を共有していると見なせば団結して互いに中傷することを止めるのであり、力を合わせて助け合う様子は左右の手のようである」を実現する方法として「周到に元敵人民に仲間意識を持たせる」教えが後述されており、其十一6-4「陣入深者、重地也」や其十一6-5「入淺者、輕地也」で登場します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。