孫子の名言「彼を知り、己を知れば、百戦して殆からず」の間違い

孫子兵法「謀攻篇」の「故兵知皮知己、百戰不殆」(原文:中國哲學書電子化計劃「銀雀山漢墓竹簡(孫子)」)は最も有名な名言の一つです。但し、一般的な原文では「皮」が「彼」に置き換えられており、「故兵、知彼知己、百戰不殆(又は「故曰、知彼知己者、百戰不殆」とする場合もある)」とされています。この漢字の置き換えによって教えの内容は全く異なるものとなり、より深みのある解釈に辿り着きます。

参考:其三6-1 故は、皮なる知は兵するも己の知とすれば、百戦するも殆うからず。

一般的な書き下し文及び解読文

一般的な書き下し文故に兵は、彼を知り、己を知れば、百戦して殆からず。
一般的な解読文だから軍事においては、敵の実情を知って、
自分の実情も知っておれば、百回戦っても危険に陥ることはない。

一般的な解釈は、主に「故兵、知彼知己、百戰不殆」、又は「故曰、知彼知己者、百戰不殆」の二通りが存在しており、前者の漢字「兵」は竹簡孫子の原文が反映されたものと思われます。深く浸透している原文は間違いなく後者ですが、ここでは一般的な解釈を前者のパターンとすることで当サイトの解釈結果との違いを比較しやすくしました。

なお、浸透している名言として「彼を知り、己を知れば、百戦して殆からず」の原文に即した文になっている場合もあれば、何故か「敵を知り、己を知れば、百戦して殆からず」と”彼”を”敵”に置き換えられている場合もあります。

一般的な解釈に対する疑問点

疑問の有無以前の問題として、そもそも竹簡孫子の原文に漢字「彼」は存在していないため、一般的な解釈である「敵の実情を知って、自分の実情も知っておれば、百回戦っても危険に陥ることはない」とは全く異なる意味になります。そのため、一般的な解釈と当サイトの独自解釈を比較する意味はありません。

ただ、それでは少々味気ないため、「敵の実情を知って、自分の実情も知っておれば、百回戦っても危険に陥ることはない」の解釈に対する見解を記述しておきます。

「敵の実情を知って、自分の実情も知っておれば、百回戦っても危険に陥ることはない」を引用する多くの記述からの類推となりますが、”知る”の具体的な意味合いは”知識を得る”ことだろうと推定されます。その上で、この名言を見直すと”敵と自分の両方について実態の正しい情報を掴めば、何度戦闘しても危険が無い”となります。さて、この時点で大きな疑問が生じます。

その疑問とは、敵と自分の両方について実態の正しい情報を掴むだけで、果たして危険を回避できると言い切れるのか?例えば、敵将軍も同様に正しい情報を掴んでいる場合は、互いに五分と五分の条件となるため確固たる優位性はありません。そして、正しい情報があったとしても、その情報を活かせる知恵、技術、軍隊等がなければ猫に小判の状態です。

なお、情報を活かす知恵、技術、軍隊等に関する教えは他句で記述されているため、「風が吹けば桶屋がもうかる」のような形式で因果関係を示す一文だと言えなくもありません。しかし、漢字「者」を”仮定表現の助詞”として扱うため前半・後半で原因と結果の直接的な関係があることが大切であり、さらにわらべ歌「いろはに金平糖」の「①金平糖は甘い、②甘いはお砂糖、③お砂糖は白い、④白いはうさぎ、⑤うさぎははねる」の要領で展開していく孫子兵法(参照:孫子兵法の構造と解読方法)の構造を鑑みても適合していないと言えます。

また、この句の直前では、其三4-2①「君主が軍事機関に赴くことを認めた時、軍事の災いとなる理由には三種類ある」から続く記述によって”表面的な知識しかない君主に対する対応策”を丁寧に説いたにも関わらず、ここでは正しい情報を掴むだけで危険を回避できると説くことになって矛盾が生じます。このように考察すると、やはり「敵の実情を知って、自分の実情も知っておれば、百回戦っても危険に陥ることはない」の解釈は相応しくないと思われます。

当サイトにおける解釈結果と理由

書き下し文故は、皮なる知は兵するも己の知とすれば、百戦するも殆うからず。
解読文戦略、戦術は、表面的な知識は災いとなるが、
自分の知恵にすれば、多くの戦争をしても危険が迫らない。

この句は、直前までの教えで”表面的な知識しかない君主に対する対応策”として、「君主による軍事の災いを抑制する知恵」を説いた流れを掴んでおけば、ここでは「表面的な知識」と「実践できる知恵」に関する教え、又は君主に関する教えの追加と推察できます。その上で、漢字「皮」の意味を確認すると”表面的なさま”とあるため、「表面的な知識」と「実践できる知恵」に関する教えであろうと判断できます。

すると、「知皮」については漢字「知」で”知識”の意味を採用して「表面的な知識」と解読できて、その対比として「知己」は「自分の知恵」であろうと推察できます。この解釈を軸にして他の漢字に注目すると、まず漢字「兵」で”災いする”の意味を採用すれば、「皮なる知は兵する」で「表面的な知識は災いとなる」と話の流れに従った解釈を得られます。

次に「百戰不殆」は一般的な解釈とほぼ同様に解釈できると仮定し、危険を回避するための教えだと仮決めすれば、おそらく「表面的な知識」を「自分の知恵」にすれば危険を回避できることを説くと推察できます。このように推察していくと、この句は”何か”が「表面的な知識」のままでは災いとなり、その”何か”を「自分の知恵」にすれば危険を回避できる意味になるのだとわかります。

最後に、残った漢字「故」から”何か”に適合する意味を探すと、戦略、戦術と解読できる”たくらみ”が相応しいと気付きます。

これら解釈を組み合わせると、「故は、皮なる知は兵するも己の知とすれば、百戦するも殆うからず」で「戦略、戦術は、表面的な知識は災いとなるが、自分の知恵にすれば、多くの戦争をしても危険が迫らない。」と解読できます(※「百戰不殆」の部分は一般的な解釈のままでも良いと思います)。

その結果、話の流れにも合致しており、孫子兵法に記載された教えを単なる知識で終わらせることなく「実践できる知恵」にしなければならない、と説いたことが明らかになります。二つの「知」を巧みに使い分けることで「表面的な知識」と「実践できる知恵」の違いを示し、兵法に限らず、あらゆる範囲に通ずる深い教えになっていると思います。

<補足>
「戦略、戦術は、表面的な知識は災いとなるが、自分の知恵にすれば、多くの戦争をしても危険が迫らない」の教えは、八通りに解読できる其三6-1「故兵知皮知己、百戰不殆」の一つ目の解読文です。残る七通りの解読文によって、「表面的な知識」を「実践できる知恵」に変えていく方法が説かれております。また、続く下記の二句においても、「表面的な知識」と「実践できる知恵」に関するより深い教えが説かれています。是非とも三句合わせてお読みになってください。

其三6-1 故は、皮なる知は兵するも己の知とすれば、百戦するも殆うからず。
其三6-2 皮はぐ知不ければ、己に知ありて一めて勝る而は、一に負ける。
其三6-3 皮はぐ知不く、己を知らざるものは、戦う毎に殆うしと必す。

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