孫子の名言「善く守る者は九地の下に藏れ、善く攻むる者は九天の上に動く」の間違い

孫子兵法「刑篇」の「昔善守者、臧九地之下、動九天之上、故能自葆全勝」(原文:中國哲學書電子化計劃「銀雀山漢墓竹簡(孫子)」)、これはそれほど有名な名言とは言えませんが、孫子兵法で説かれる戦略、戦術の根幹をなす教えであるため採用しました。但し、一般的な原文では「臧」を「藏」に、「葆」を「保」に置き換えて、「於」、「善攻者」、「而」、「也」が入っており、「善守者、藏於九地之下、善攻者、動於九天之上。故能自保而全勝也」(又は「昔善守者、藏九地之下、動九天之上。故能自保而全勝也」とする場合もある)」とされています。

参考:其四2-3 昔の善く守る者は、九地を之いて下らしむこと臧しとし、九天を之いて故を上えて動き、能く自ら葆ちて全うして勝つ。

一般的な書き下し文及び解読文

一般的な書き下し文善く守る者は九地の下に藏(かく)れ、善く攻むる者は九天の上に動く。
故に能く自ら保ちて勝を全うするなり。
一般的な解読文上手に守備する者は大地の奥底に隠れて、
好機が訪れた時、上手に攻撃する者は天空の上で行動する。
だから、自軍を安全な状態にして、完全な勝利を手に入れるのである。

一般的な解釈は何となく詩的な雰囲気をもった解読文になっており、正直に言うと、具体的にはどのような状態のことを指しているのか理解できていません。なお、後半の「善く攻むる者」は後世に付け加えられており、前半は守備に関する教え、後半は攻撃に関する教えと意味付けしたように思われます。しかし、このように詩的に解読されている句も、話の流れを踏まえた上で、漢字の意味に素直に従って解読すれば、具体的な解釈が得られます。

一般的な解釈に対する疑問点

この句に対する最大の疑問点は、「九地の下」を「大地の奥底」、「九天の上」を「天空の上」と解釈するのは本当に正しいのか?に尽きます。日本語の漢字が与える印象だけで解釈しても「大地の奥底」や「天空の上」といった”最上級”のニュアンスにはならないため、わざわざ強調している理由がわかりません。

次に、仮に「大地の奥底」や「天空の上」の解釈が正しいとした場合、大地の奥底に隠れた状態と天空の上で行動する状態は非現実的な現象であるため、これだけは意味を成していません。そこで、あり得るパターンとしては、何らかの喩えになっている可能性があります。しかしながら、対象となる事柄が”大地と天空”であるため、喩えとして解釈し得る現象が数多く存在して一つに絞ることができません。

そのため、喩えにもなっていないであろうという結論が出ます。

そこで視点を変えて、話の流れを確認してみると、其四2-1①「大いに戦争に持ち堪えられる準備は防備であり、敵国を戦争で負かすことができる状態は巧みにこなすのである」、其四2-2①「守備するお手本は有り余る兵士達を備えるのであり、武力で敵を撃つお手本は敵に十分に備えさせないのである」と続いており、「戦争に持ち堪えられる準備」について少しずつ具体化していく過程が見えます。

すると、この句も同様に「戦争に持ち堪えられる準備」について説いており、「臧九地之下、動九天之上」の記述によって、さらに具体化した解釈が得られるのではないか?という推測に辿り着きます。

当サイトにおける解釈結果と理由

書き下し文昔の善く守る者は、
九地を之いて下らしむこと臧しとし、
九天を之いて故を上えて動き、能く自ら葆ちて全うして勝つ。
解読文昔の優れた防御をする将軍は、
たくさんの場所を利用して敵軍を劣勢にすることを良しとし、
たくさんの自然の摂理を利用して戦略、戦術を施して行動し、
自分で自分を守って完全な状態に保って敵軍を抑えることができたのである。

前述したように、この句が、話の流れに従って「戦争に持ち堪えられる準備」をさらに具体化した教えを説いているとすれば、「善守者」は一般的な解釈とほぼ同じ「優れた防御をする将軍」で良いと確定します。

その上で、改めて其四2-2①「守備するお手本は有り余る兵士達を備えるのであり、武力で敵を撃つお手本は敵に十分に備えさせないのである」に基づいて、「戦争に持ち堪えられる準備」に繋がる事柄を考えてみると、自軍が兵士数を増やす内容か、敵軍の備えを不十分にさせる内容のいずれかになりそうだと推察できます。

そして漢字「下」の意味を確認してみると、”劣る”とあり、漢字「臧」には”良い”とあり、この二つを組み合わせれば”敵軍を劣った状態にすれば良い”という解釈が成り立ちそうであり、尚且つ、敵軍の備えを不十分にさせる内容と言えそうです。逆に、漢字「上」や漢字「動」からは、自軍が兵士数を増やす内容に繋がる意味が見当たらないことから、敵軍の備えを不十分にさせる内容を軸にすれば解釈できるのだろうと推定できます。

話の流れをつくる軸が見えたところで、次に「九地」と「九天」について考察していきます。まず、「九地」は、敵軍を劣った状態にするための要因ではないかと仮定すれば、ざっくりと”九地を使って敵軍を劣った状態にすれば良い”という解釈になるため辻褄が合いそうです。

この観点で「九地」の中身を考えていく時、九地篇の「九地」を指すと早とちりしそうですが、対となる「九天」について九種類の具体的な内容を記述した箇所はありません。そのため、漢字「九」は”たくさん”の意味であろうと目星がつきます。

漢字「九」が”たくさん”の意味だとすれば、漢字「地」は敵軍の備えを不十分にさせる要因となり得るため、其一2-5①「場所とは、高い場所と低い場所があり、広い場所と狭い場所があり、遠い場所と近い場所があり、地勢が険しい場所と平坦な場所があり、命を失う場所と生存する場所があるのである」の”場所”と考察できます。結果、「九地を之いて下らしむこと臧(よ)しとする」で「たくさんの場所を利用して敵軍を劣勢にすることを良しとする」と解読できます。

そして、漢字「地」同様に「天」は、其一2-4①「自然の摂理とは、日陰と日なたがあり、寒い日と暑い日があり、時間の流れをつくるのである。順応して推し量れば、優れた戦略、戦術ができるのである」の”自然の摂理”と考察できます。この考察に基づけば、漢字「上」は”施す”の意味、漢字「故」の”たくらみ”の意味を採用して、”戦略、戦術を施す”と解釈できることに気付きます。結果、「九天を之いて故を上えて動く」で「たくさんの自然の摂理を利用して戦略、戦術を施して行動する」と解読できます。

<補足>
漢字「故」は「昔善守者、臧九地之下、動九天之上、故能自葆全勝」と区切っているため、「動九天之上」と無関係に思われるかもしれません。しかし、白文では句点はないため、区切る箇所は解釈者次第となります。当サイトにおいて、意味に合わせて「昔善守者、臧九地之下、動九天之上故、能自葆全勝」と区切らなかった理由は、言葉は文字より先に音が存在するであろうと考えて、「臧九地之下、動九天之上」のリズムを重視して区切った次第です。

最後の「能自葆全勝」は、「自ら葆ちて全うする」が「自分で自分を守って完全な状態に保つ」と解読できること、尚且つ、主語が「優れた防御をする将軍」であることを踏まえれば文意が見えてきます。

この将軍は防御を重視しつつ、戦略、戦術を駆使することで、敵軍を劣勢にして戦闘にならない状態を実現しているのであり、その結果、自軍を完全な状態に保っています。つまり、積極的に敵軍を武力で撃つことはせずに、敵軍が身動きが取れない状態に追い込んでいるのです。このように解釈すれば、漢字「勝」は”抑える”の意味が相応しいという結論が出ます。

これら解釈をまとめると、「昔の優れた防御をする将軍は、たくさんの場所を利用して敵軍を劣勢にすることを良しとし、たくさんの自然の摂理を利用して戦略、戦術を施して行動し、自分で自分を守って完全な状態に保って敵軍を抑えることができたのである」と辻褄の合った解読文に仕上がります。

最後に、冒頭でこの教えが孫子兵法で説かれる戦略、戦術の根幹をなすと記述した理由について触れておきます。其一2-5において「地」の”①場所”は、「②戦地、③間者が隠れて出現する場所、④敵国の町、村、里、集落」の三種類に細分化して定義されており、これらを戦略、戦術に使う方法が随所で説かれております。

次に、「天」の”自然の摂理”は、其一2-4①「自然の摂理とは、日陰と日なたがあり、寒い日と暑い日があり、時間の流れをつくるのである。順応して推し量れば、優れた戦略、戦術ができるのである」の記述に答えがあります。この解読文を噛み砕けば、自然の摂理に基づいた戦略、戦術を孫武は説いているのであり、「自然の摂理」は”ある条件を満たした時に一定の結果を矛盾なく生じさせる自然界の法則”であるため、孫子兵法の戦略、戦術も条件を満たせば一定の結果を得られることを示しているのです。

つまり、この句は「完全な状態に保って敵軍を抑えることができる」理由は、「地=場所」と「天=自然の摂理」の使い方にある、と示しているのです。かえって場所と自然の摂理を蔑ろにした戦略、戦術では「完全な状態に保って敵軍を抑えることができる」を実現できないため、優れていないと説いたと解釈できます。

<補足>
竹簡孫子では、漢字「昔」が入ることで「昔の優れた防御をする将軍」と解読しているが、孫子兵法の教えは過去の戦争事例に対する類型であるため、”過去の優れた将軍の軍事を参考にすれば・・・”というい意味合いが込められていると推察できます。
なお、孫子兵法の教えが過去の戦争事例の類型であることは、行軍篇の其九5-1④「将軍は大いに戦況が一致する過去の戦争事例から未来を予測するうえに、さらに過去の勝ち戦を大いに鑑定し、その勝ち戦を恭しく細部まで再現することを決行する」から推察できます。

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