孫子の名言「勝者の民を戦わしむるや、積水を千仞の谿に決する若き者は、形なり」の間違い

孫子兵法「刑篇」の「稱勝者戰民也、如決積水於千仞之㙤、刑也」(原文:中國哲學書電子化計劃「銀雀山漢墓竹簡(孫子)」)は最も有名な名言の一つです。あまりにも有名なため引用されることも多いですが、実は元々記述されていた漢字が異なるため本来の意味から離れた内容になっています。一般的な原文では「稱」がなくて「者」が入っており、「如」を「若」、「㙤」を「谿」、「刑」を「形」に置き換えて「勝者之戦民也、若決積水於千仞之谿、形也」(又は「稱勝者戰民也、如決積水於千仞之㙤者、形也」とする場合もある)とされています。

参考:其四4-5 称げて勝つ者は民を戦かしむなり、千に於いてする水を積らしめば仞するに之りて罅けて決るに如くことに刑るなり。

一般的な書き下し文及び解読文

一般的な書き下し文勝者の民を戦わしむるや、
積水を千仞の谿(たに)に決する若き者は、形なり。
一般的な解読文勝者が人民を戦闘させる時は、
満々に蓄積した水を深い谷底に落とすような激しい勢いであり、
これは態勢に要因がある。

一般的な解釈で多い例は、人民を戦わせる時の様子として、一度動き出した軍隊の勢いはとても激しく、その勢いを敵軍は止めることができない、その軍隊の勢いをつくる要因は態勢にあるという内容です。もっともらしい解釈内容ではありますが、後世に置き換えられた原文に基づいて解釈されているため、元々の原文から解釈し直さなければなりません。

一般的な解釈に対する疑問点

一般的な解釈で用いられる原文(武経七書「孫子」等)は、最も書写年代が古い竹簡孫子の原文と異なるため、後世に置き換えられたと推定できます。そのため、当サイトは、竹簡孫子の原文「稱勝者戰民也、如決積水於千仞之㙤、刑也」の方が元々記述されていた内容であろうという立場で解釈しております。

武経七書「孫子」等では、この句だけでなく、一つ前の句においても重要な漢字が置き換わっているため、話の流れそのものが掴めなくなっています。

そのため、生じた疑問点を考察する意味はありませんが、一点だけ説明を加えるとすれば「満々に蓄積した水を深い谷底に落とす」という人為的な現象に基づいて孫武が教えを説くとは想像し難いことです。孫子兵法における戦略、戦術は、其一2-4①「自然の摂理とは、日陰と日なたがあり、寒い日と暑い日があり、時間の流れをつくるのである。順応して推し量れば、優れた戦略、戦術ができるのである」とあるように、現実に存在する現象に基づいたものです。

「満々に蓄積した水を深い谷底に落とす」は、深い谷底に水を落とすために、人為的に水を蓄積することであるため、自然にある現象ではありません。このように考えれば、「満々に蓄積した水を深い谷底に落とす」は戦略、戦術を説くために孫武が記述したものではないとわかります。

当サイトにおける解釈結果と理由

書き下し文称げて勝つ者は民を戦かしむなり、
千に於いてする水を積らしめば仞するに之りて
罅けて決るに如くことに刑るなり。
解読文兵士数がどんどん増えていく軍隊を使って、
兵士数が減っていくしかない敵軍を思うままに操って抑える将軍は、
敵兵達を恐れ震えさせるのであり、
あぜ道にある水の流れを停滞させれば充満した状態に達して、
隙間を生じて充満した水が決壊に至る現象をお手本にするのである。

この句を解釈する時、最も大切なことは話の流れを掴んでおくことです。一つ前の句で説かれた内容がわかっていないと、一般的な解釈の印象に引きずられて迷走することになります。

一つ前の句「勝兵如以洫稱朱、敗兵如以朱稱洫」について

その一つ前の句は、一般的な原文は「勝兵若以鎰稱銖、敗兵如若銖稱鎰(又は「勝兵如以鎰稱銖、敗兵如以銖稱鎰」)であり、「勝利する軍隊は重いおもりで軽いおもりを比較するように確実に優勢となり、敗北する軍隊は軽いおもりで重いおもりを比較するように確実に劣勢になる」と解釈されます。

しかし、この一つ前の句について、竹簡孫子の原文は「勝兵如以洫稱朱、敗兵如以朱稱洫」としており、その主たる解読文は其四4-4①「敵軍を抑える戦略、戦術は、赤い顔料を計量して用水路に流れている大量の水を使うに等しく敵軍の最大規模を把握した上でどんどん兵士数が増えていく軍隊を使うのであり、負ける戦略、戦術は用水路に流れている水量に釣り合う赤い顔料の量を考えるに等しく敵軍の軍隊規模がわかっていない状態にも関わらず兵士数が減っていくしかない軍隊を使うのである」となります。

この解釈の要点は、一般的な原文では「鎰」と「銖」と置き換えられている漢字「洫」と「朱」にあります。まず、漢字「洫」は“耕作地の用水路”の意味であり、用水路の水は流れているため、その水量を量ることはできない。また、量ることができないほどの水量を一カ所に溜めて常に増えていくため、使って減ってもすぐに水量が戻ることが特徴です。そして、「水」を「人民(兵士)」の喩えと解釈すれば漢字「洫」は「軍隊の兵士数がどんどん増えていく状態」又は「(どんどん増えて)軍隊規模がわからない状態」を表現していると考察できます。

次に、漢字「朱」は“赤い顔料”の意味であり、漢字「洫」との対比によって、その分量は計量できるほど少ないことが特徴と言えます。また、当時の顔料は貴重な品物と推察できるため、容易には分量を増やすことはできないと思われます。そのため、赤い顔料は減っていくしかないのです。つまり、最初に顔料を計量すれば、顔料の最大量を把握したことになります。これを軍隊に置き換えれば、漢字「朱」は「軍隊の最大規模を把握できている状態」又は「軍隊の兵士数が減っていくしかない状態」を表現していると考察できます。

長々と説明を加えましたが、この考察がなければ「稱勝者戰民也、如決積水於千仞之㙤、刑也」で記述された漢字の意味がわからないのです。具体的には前半部分「敵軍を抑える戦略、戦術」について、さらに詳しく説く流れになっています。

その上、直接的に「稱勝者戰民也、如決積水於千仞之㙤、刑也」に繋がる解釈を得るためには、主たる解読文は其四4-4①から展開された其四4-4③が重要となります。

この其四4-4③の解釈に対する詳しい解説は「勝兵如以洫稱朱、敗兵如以朱稱洫」の「解読の注」を参照して頂くこととして、ここでは重要な手掛かりとなる「称」について簡単に説明を加えておきます。この「称」は、結論を言えば其四4-2①「法、一曰度、二曰量、三曰數、四曰稱、五曰勝」の漢字「称(稱)」の意味を積み上げており、「敵軍を思うままに操る」と解読します。

その結果、其四4-4③は「兵士数がどんどん増えていく軍隊を使って兵士数が減っていくしかない敵軍を思うままに操るようにすれば敵軍を抑えるのであり、兵士数が減らない正攻法部隊で敵軍を思うままに操って獲物となる敵部隊が出現した時に奇策部隊が出撃するに及べばその敵部隊を打ち負かすのである」と解読できます。

そして、1つ目の「称」で記述された前半部分「兵士数がどんどん増えていく軍隊を使って兵士数が減っていくしかない敵軍を思うままに操る」の意味が、「稱勝者戰民也、如決積水於千仞之㙤、刑也」の漢字「称(稱)」に積み上げられます。

「稱勝者戰民也、如決積水於千仞之㙤、刑也」について

まず、前述したように漢字「称(稱)」は、一つ前の其四4-4③1つ目の「称」の意味を積み上げて「兵士数がどんどん増えていく軍隊を使って兵士数が減っていくしかない敵軍を思うままに操る」と解読します。また、「敵軍を抑える戦略、戦術」について詳しく説く流れであるため、漢字「勝」の意味は”抑える”だとわかるため、「称げて勝つ者」で「兵士数がどんどん増えていく軍隊を使って、兵士数が減っていくしかない敵軍を思うままに操って抑える将軍」と解読できます。※「戰民」は最後に説明します。

次に「如決積水於千仞之㙤」についてですが、一般的な書き下し文にある「千仞の谿」のイメージを完全に捨てなければなりません。着眼点は、一つ前の句で記述された漢字「洫」の“耕作地の用水路”であり、用水路の特徴として水量がどんどん増え続けることです。この用水路の記述に関心を持てれば、漢字「積」は”停滞する”、「水」は”水の流れ”、「千」は”あぜ道”、「於」は”在る”の意味が採用されると推察できる。つまり、あぜ道に在る(用水路)の”水の流れ”を”停滞させる”ことで水量をどんどん増やす文意とわかります。

「積水於千」が”あぜ道にある水の流れを停滞させる”と解釈することがわかれば、漢字「仞」は”充満する”とわかり、用水路で停滞させた水の流れが充満するためには”一定の時間”が必要なため、連鎖的に漢字「之」は”ある地点や事情に達する”で時間の流れを表現するとわかります。

「如決積水於千仞之㙤」の部分で残っている漢字「如」、「決」、「㙤(罅)」については、充満させた水溜まりのその後に起こる現象をイメージすれば容易くわかります。つまり、この水溜まりは用水路等にあるため充満しても水量が増え続けるため決壊するはずです。この水溜まりの決壊に繋がる意味を考えれば、「如」は”至る”、「決」は”水が堤防を破る”、「㙤(罅)」は”隙間を生じる”の意味を採用すれば現象を説明できそうな目星がつきます。

「決」の”水が堤防を破る”が決壊であることは明らかであり、次に、決壊する時には”充満させた水溜まり”のどこかに亀裂が入ると変化の過程を考えれば、「㙤」の”隙間を生じる”がその亀裂を表現していると考察できます。これら解釈の結果、「如決積水於千仞之㙤」の部分は「千に於いてする水を積らしめば仞するに之りて罅けて決るに如く」で「あぜ道にある水の流れを停滞させれば充満した状態に達して、隙間を生じて充満した水が決壊に至る」と解読できます。

<補足>
「あぜ道にある水の流れを停滞させれば充満した状態に達して、隙間を生じて充満した水が決壊に至る」現象は、「兵士数がどんどん増えていく軍隊を使って、兵士数が減っていくしかない敵軍を思うままに操って抑える将軍」の”兵士数がどんどん増えていく軍隊”の喩えになっており、二通り目以降の解読文で「隙間を生じて充満した水が決壊に至る」部分の意味について詳しく説かれています。

続いて、最後の決め台詞であろう漢字「刑」については、まず一般的な解釈との違いを認識して頂いた方が良いと思います。

一般的な解釈の原文では「形」と記述されており、同句が記述されたこの篇の名称も「形篇」としています。そのため、物質的な形状であるカタチのイメージに基づいて解釈されているように思います。

一方、漢字「刑」には色々な意味がありますが、孫子兵法における主たる扱いは”鋳型”の意味に基づいた”パターン化する概念”です。

<補足>
「刑」の“鋳型”とは、鋳物を鋳造するための型であり、これは全く同じ鋳物を生産するための物です。其九5-1④「将軍は大いに戦況が一致する過去の戦争事例から未来を予測するうえに、さらに過去の勝ち戦を大いに鑑定し、その勝ち戦を恭しく細部まで再現することを決行する」の記述を実現するために“鋳型”があると仮定すれば、“鋳型”は「戦況が一致する」ことを確認したり、「恭しく細部まで再現する」ためのものと解釈できます。わかりやすく言い換えれば、戦略、戦術のお手本や、戦況を正しく識別するための類型であり、パターン化する概念となるのです。

例:「地刑篇」の「地刑」は、奇正の戦術が実行するべき「戦地の型」と解釈します。

つまり、刑篇は、このパターン化する概念を前提として説かれているのであり、ここでは「あぜ道にある水の流れを停滞させれば充満した状態に達して、隙間を生じて充満した水が決壊に至る」現象をパターン化して活用する文意という結論に至るのです。その結果、漢字「刑」は”手本にする”を相応しいと判断できます。

最後に、「戰民」について、「兵士数がどんどん増えていく軍隊を使って、兵士数が減っていくしかない敵軍を思うままに操って抑える将軍」と「あぜ道にある水の流れを停滞させれば充満した状態に達して、隙間を生じて充満した水が決壊に至る現象をお手本にする」の記述から具体的な場面をイメージすれば、敵軍が劣勢に追い込まれている状況が浮かび上がってきます。そのイメージに従って漢字の意味を確認すれば、「戦」は”(恐れや寒さのために)震える”、「民」は”庶民”の採用するとわかり、「敵兵達を恐れ震えさせる」という解釈に辿り着きます。ちなみに、兵士は各国の人民で構成されているため”庶民”の意味で「敵兵達」と解読しています。

これら解釈をまとめると「称げて勝つ者は民を戦かしむなり、千に於いてする水を積らしめば仞するに之りて罅けて決るに如くことに刑るなり」で「兵士数がどんどん増えていく軍隊を使って、兵士数が減っていくしかない敵軍を思うままに操って抑える将軍は、敵兵達を恐れ震えさせるのであり、あぜ道にある水の流れを停滞させれば充満した状態に達して、隙間を生じて充満した水が決壊に至る現象をお手本にするのである」と解読できます。

この一文だけで相当な解説量になっていますが、この句には残り七通りの解読文に展開されて、より詳しい内容が出現する仕組みになっています。言い換えれば、残り七通りの解読文を読むことで、この一文で伝えようとする本当の意味がわかるようになっています。興味のある方は、ぜひ残り七通りの解読文もお読みになってください。

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