孫子兵法「埶篇」の「戰埶不過奇正、奇正之變、不可勝窮也」(原文:中國哲學書電子化計劃「銀雀山漢墓竹簡(孫子)」)は、奇正の戦術の特徴について説かれた名言の一つであり、直前に記述された「五声、五色、五味」の入った句とひとまとまりで解釈されています。なお、一般的な原文では「埶」を「勢」に置き換えて「戰勢不過奇正、奇正之變、不可勝窮也」とされています。
参考:其五2-8 戦げしむ埶は正と奇を過ぎること不く、正と奇の変を之いるなり、不いに窮めれば勝つ可きなり。
一般的な書き下し文及び解読文
一般的な書き下し文 | 戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は、勝げて窮む可からざるなり。 |
一般的な解読文 | 戦闘の勢いは奇策と正攻法の二種類に過ぎないが、 奇策と正攻法を組み合わせた変化は無数にあって窮めることができない。 |
一般的な解釈では、其五2-5「聲不過五、五聲之變、不可勝聽也」、其五2-6「色不過五、五色之變、不可勝觀也」、其五2-7「味不過五、五味之變、不可勝嘗也」の三句を受けて、奇策と正攻法の組み合わせを窮め尽くすことはできないという文意になっています。
この三句の一般的な解釈は「音には五音階あって、その組み合わさった変化を聞き尽すことはできない」、「色には五色あって、その組み合わさった変化を全て見ることはできない」、「味には五つの味覚があって、その組み合わさった変化を味わい尽くすことはできない」となっています。
これら事例のように奇策と正攻法の組み合わせを窮め尽くすことはできないと強調し、奇正の戦術が展開される方法を説いたと解釈されているようです。
一般的な解釈に対する疑問点

一般的な解釈では、直前の三句を受けて、奇策と正攻法の組み合わせを窮め尽くすことはできないと強調しているように見えますが、よく読むと全く強調になっていないことがわかります。
その理由は、直前の三句は”五種類”を組み合わせた変化には限りが無いとしているが、奇策と正攻法の組み合わせは”二種類しかない”ため、組み合わせた場合の数は減ります。本来、強調したいのであれば、この種類の数が同じであるか、もしくは増えるはずです。そのため、直前三句は、この句の強調のために記述されたものではないとわかります。
<補足> ここでは詳しく解説しませんが、直前の三句は漢字の意味に素直に従えば、それぞれ下記のような解読文となり、この句と直接的な関係はないことがわかります。 ・其五2-5①「声調は、四声の四種類しかないため五種類を超えることは無く、五番目の声調が出現する事態は異変であり、五種類を超える声調を耳で聴くことはできないのである」 ・其五2-6①「女性への情欲は何度も凌げないのであり、何度も美女を赴かせれば心変わりをして、情欲を抑えて考察できないのである」 ・其五2-7①「舌で物を舐めた時の感覚には“酸っぱさ・辛さ・塩辛さ・甘さ・苦さ”の五種類あるが他人にその感覚は渡せないのであり、何度も味わえばその感覚も変化するため、その全てを味わうことはできないのである」 |
ここで冒頭の「戦闘の勢いは奇策と正攻法の二種類」について確認してみると、”戦闘の勢い”は戦闘時の状態であり、”奇策と正攻法”は部隊の種類又は部隊の役割を意味するため、文章の意味がよくわかりません。そもそも孫子兵法は、敵軍を抑えたり、敵兵達を恐れ震えさせるための”軍隊の勢い”については説いていますが、両軍の正攻法部隊がせめぎ合う戦闘を良しとしていないため、その点から考えても”戦闘の勢い”という言葉が”奇策と正攻法”に関連して登場することは考えづらいと言えます。
すると後半部分の「奇策と正攻法を組み合わせた変化は無数にある」も解釈を改めて考え直す必要が出てきます。但し、この解釈内容自体は、其五2-2①「奇策部隊の戦術を立てる時は、変化する自然の摂理と様々な種類がある場所のようにその変化と種類は尽き果てることが無い」と記述されているため、孫子兵法の教えそのもには適合している可能性があります。あえて”可能性”とした理由は、其五2-2①は奇策部隊に限定した記述となっており、ここでは正攻法部隊との関連性について触れていないため、断言できないからです。
当サイトにおける解釈結果と理由
書き下し文 | 戦げしむ埶は正と奇を過ぎること不く、 正と奇の変を之いるなり、 不いに窮めれば勝つ可きなり。 |
解読文 | 軍隊を動かす技術は正攻法と奇策の二種類を超えることが無く、 正攻法と奇策の移り変わりを用いるのであり、 その移り変わりを大いに探求すれば敵軍を抑えることができるのである。 |
漢字「埶」について
この句を解釈するために、まず、漢字「埶」について解説します。一般的な解釈では、元々漢字「埶」で記述されていた箇所は、「勢」と置き換えられて主に”勢い”の意味が採用されています。漢字「埶」にも”勢い”の意味はありますが、この置き換えによって「埶」から得られる大切な意味合いが消えた状態になっています。
まず、漢字「埶」には”勢い”の他、”栽培する”や”技”の意味があります。”栽培する”はある事柄を成長させる行為であり、”技”は物事を成し遂げるための技術を指しています。このように解釈した上で其一4-4「埶者、因利而制權也」で説かれた「埶」に対する説明の要点をまとめれば、軍隊に”勢い”を生み出すためには、兵士達の士気を激しくする”技術”が必要であり、その”勢い”は”成長させる”ことで切れ味の鋭い武器になることがわかります。
つまり、漢字「埶」一字に「軍隊の勢い」について大体のことを理解できる意味が込められているのであり、「埶篇」には軍隊の勢いの特徴、軍隊の勢いを生み出す技術、軍隊の勢いを激しくする方法がまとめられていることもわかります。
「埶」に込められた意味合いがわかれば、文意を掴んでこの句に相応しい意味を選択すれば良いのであり、「奇、正」が「奇策、正攻法」又は「奇策部隊、正攻法部隊」のいずれかの意味になるであろうことを念頭におけば、必然的に”技”の意味を採用して「技術」と解読することがわかります。
「戰埶不過奇正、奇正之變、不可勝窮也」の解釈について
漢字「埶」を「技術」と解釈する目星がつけば、この句で記述している技術は”何か”を考察します。原文の漢字の並び順に素直に従えば、漢字「戦」が技術に関する説明と推察できますが、意味を確定できるまでの文意はまだ見えていません。
そこで「不過奇正」を先に解釈します。「奇、正」が「奇策、正攻法」又は「奇策部隊、正攻法部隊」のいずれかの意味になることを念頭におけば、漢字「過」は”こえる”以外に該当しそうな意味は見当たりません。その結果、”(何らかの技術は)「奇」と「正」を二種類を超えることが無い”という文意が見えてきて、「奇、正」は「奇策、正攻法」であろうと判断できます。
ここまでの解釈を踏まえて漢字「戦」を確認した時、一見すると適合しそうな意味ばかりですが、「奇策」と「正攻法」は戦い方が異なるため、辻褄の合う文意になりそうな意味は”揺れ動く”位しかありません。そして、この”揺れ動く”を軍隊を動かすことと解釈すれば、前半部分は「戦げしむ埶は正と奇を過ぎること不し」で「軍隊を動かす技術は正攻法と奇策の二種類を超えることが無い」と解読できます。

続いて「奇正之變」の部分は、「奇、正」は前半部分同様に「奇策、正攻法」と仮定して、其五2-1①「一般的に戦争は、正攻法部隊を率いて交戦し、奇策部隊によって打ち破る」を踏まえて漢字「変」の意味を考えてみます。
其五2-1①の意味は、両軍の正攻法部隊同士で交戦した状態を基本として、敵軍に虚が生じれば奇策部隊が武力で打ち破ることです。この戦闘の流れをイメージして漢字「変」を確認すれば、”移り変わり”の意味が適合することがわかります。
その結果、中盤部分は「正と奇の変を之いるなり」で「正攻法と奇策の移り変わりを用いるのである」と解読できます(なお、この「正」と「奇」はそれぞれ正攻法部隊、奇策部隊と解読しても良いと思います)。
ここでま解釈を踏まえて漢字「窮」を確認すれば、”探究する”の意味を採用して”正攻法と奇策の移り変わりを探求する”ことであろうと推察ができます。次に、漢字「勝」は”抑える”と”敵を打ち破る”のいずれの意味を採用しても辻褄の合う解読文になります。ここでは大きな視点で説かれた記述を推察して”抑える”の意味を採用し、奇正の戦術で敵軍を弱体化させた後に”敵軍を抑える”文意と解読した(”敵を打ち破る”を採用した場合は奇策部隊が敵を打ち破る文意となる)。
これら解釈をまとめれば、書き下し文「戦げしむ埶は正と奇を過ぎること不く、正と奇の変を之いるなり、不いに窮めれば勝つ可きなり」で「軍隊を動かす技術は正攻法と奇策の二種類を超えることが無く、正攻法と奇策の移り変わりを用いるのであり、その移り変わりを大いに探求すれば敵軍を抑えることができるのである」という解読文が仕上がります。
<補足> 「正攻法と奇策の移り変わり」の詳しい内容は、次句の其五2-9「奇正環相生、如環之毋端。孰能窮之」の四通りの解読文全てを使って解説されています。奇正の戦術について具体的にわかる内容になっておりますので、興味のある方はぜひお読みになってください。 |


