孫子の名言「勢を任ずる者は、其の人を戦わしむるや木石を転ずるが如し」の間違い

孫子兵法「埶篇」の「任埶者、戰民也、如轉木石」(原文:中國哲學書電子化計劃「銀雀山漢墓竹簡(孫子)」)は最も有名な名言の一つであり、一般的な解読文は間違いではないものの解釈に不十分な点があります。この句を丁寧に解読しないと軍隊に勢いを生じさせる教えが曖昧になるため注意が必要です。なお、一般的な原文では「埶」を「勢」、「民」を「人」に置き換えて、「其」が入って「任埶者、其戰人也、如轉木石」(又は「與勢者、其戰人也、如轉木石」とする場合もある)とされています。

参考:其五5-2 埶ありて任する者は、民をして戦げしむなり、木と石の転ぶ如くするなり。

一般的な書き下し文及び解読文

一般的な書き下し文勢を任ずる者は、其の人を戦わしむるや木石を転ずるが如し。
一般的な解読文勢いに任せる将軍が兵士達を戦わせる様子は、
木や石を転落させるようなものである。

一般的な解釈は、生じた勢いに兵士達を従わせる時は、木や石を転落させるようにすれば良いという文意になります。この解釈を素直に受け止めれば、既に生じている何らかの”勢い”に乗じて、兵士達を敵軍に激しく突撃させる様子となりそうですが、解釈そのものが曖昧な状態で留まっているため定かではありません。

一般的な解釈に対する疑問点

この句の一般的な解釈に対して生じる疑問は、孫子の名言「戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は、勝げて窮む可からざるなり」の間違いの「漢字「埶」について」で説明したように軍隊の勢いは技術によって生み出すのであれば、本当に”勢いに任せる”という解読は適切なのか?という点です。

この解読文では、既に生じている何らかの”勢い”に乗じる文意となるため、どこか違和感が残った状態になります。

また、この句と次句の其五5-3「木石之生、安則靜、危則動、方則止、圓則行」では、わざわざ「木」と「石」の二種類が登場していますが、その理由に対する考察はなされていないように思います。この二つに区別がないのであれば、いずれか一つで良かったはずです。そのため、「木」と「石」の二種類が記述された意味について疑問が生じてきます。

当サイトにおける解釈結果と理由

書き下し文埶ありて任する者は、
民をして戦げしむなり、
木と石の転ぶ如くするなり。
解読文道理を探求して身につけた技術を使う将軍は、
人民を使って羊の集まりを導くように軍隊を動かすのであり、
丸太や石がころがり落ちるに等しく軍隊に勢いを生じさせて動かすのである。

話の流れを掴む

この句は、実は、一つ前の其五5-1「故善戰者、求之於埶、弗責於人。故能擇人而任埶」において八通りの解読文全てを使って具体的に記述された描写に対するまとめとなっています(参考:孫子兵法の構造と解読方法)。そのため、一つ前の句に対する解釈から始めるべきですが、ここでは要点となる部分だけ紹介しておきます。

其五5-1「故善戰者、求之於埶、弗責於人。故能擇人而任埶」の要点

其五5-1①戦略、戦術に熟練して敵軍と優劣を争う将軍は、軍隊の勢いによって敵軍と優劣を争う方法を探求するのであり、兵士一人ひとりに対して敵兵と優劣を争うことを要求しない。
其五5-1②軍隊の勢いで優劣を争う良い方法を使って敵軍を劣勢にさせる将軍は、技術によって軍隊に勢いを生じさせる方法を探求する。
其五5-1③敵軍を劣勢にさせる良い方法を使って恐れ震えさせる将軍は、軍隊の勢いを激しくして獲物となる敵部隊を出現させる方法を探求する。
其五5-1④敵軍を恐れ震えさせる将軍は、必ず軍隊を立派に整えることを探求する。
其五5-1⑤軍隊を立派に整えて羊の集まりを導くように動かす将軍は、兵士一人ひとりに対して動く方向を命じず、道理を探求して技術として使うのである。
其五5-1⑥君主は、道理を探求して身につけた技術を使って思いやりのある有能な将軍を選び取るのである。

一つ前の其五5-1の内容を確認すれば、軍隊の勢いは、将軍が道理を探求して身につけた技術を使って生み出していることがわかり、この句の「任埶者」は「埶」を”技術”と解読できることから技術を持った将軍を指すのではないか?と推察できます。

「任埶者、戰民也、如轉木石」について

話の流れから漢字「埶」は”技術”であろうと目星がつけば、次に漢字「任」を確認すれば”使用する”の意味があるため、「任埶者」は”技術を使う者”と解釈できます。

さらに、話の繋がりを明示するため、この漢字「埶」には其五5-1⑥2つ目の「埶」の「道理を探求して身につけた技術」の意味が積み上げられていると考察すれば、「埶ありて任する」で「道理を探求して身につけた技術を使う将軍」と解読できます。

続いて、後半部分「如轉木石」については”木や石を転落させるようなものである”の意味になると仮定しても良さそうなので、その仮定に基づいて「戰民也」を考えます。

そして、一つ前の其五5-1に対するまとめであり、「戰民也」が「任埶者」に対する説明になることは漢字の並び順が推察できるため、適合しそうな内容を其五5-1の解読文から探します。

すると、其十一5-5⑤「戦」で記述された「羊の集まりを導くように軍隊を動かす」が最も適合すると考察できます。「埶」同様に其十一5-5との話の繋がりを明示するため、漢字「戦」の“揺れ動く”にはこの意味を積み上げて解読することとします。

次に、「羊の集まりを導くように軍隊を動かす」の”羊の集まり”とは兵士達を指しており、文意を見れば「軍隊を立派に整えて」と説明されているため漢字「民」は自軍の兵士達であるとわかります。但し、其五5-1①「兵士一人ひとりに対して敵兵と優劣を争うことを要求しない」は、どのような兵士であっても軍隊という集合体にすれば敵兵と優劣を争える状態になると説いたと解釈できます。つまり、ここでは能力、経験を問わず、どのような人民であっても良いのです。その結果、この意味合いを込めて「民をして戦げしむなり」は「人民を使って羊の集まりを導くように軍隊を動かすのである」と解読できます。

最後に、「如轉木石」について考察します。基本的には一般的な解釈と同様に”丸太や石を転落させるようなものである”となります。但し、孫子兵法において漢字「如」等で”~のように”と解釈される場合、そこで描写された現象に基づいた兵法の教えが隠されています。これは喩えによって精緻に説くのであり、その精緻な内容について一つ一つ丁寧に言語化されることは極々僅かです。そのため、喩えから導かれる教えを言語しておく必要があります。

さて、”丸太や石を転落させる”という現象から導かれる教えを言語化する時は、まず”丸太や石を転落させる”現象そのものを確認します(YouTube等で現象を観察できます)。すると、丸太と石はいずれも区別なく、ころがり落ちる時は「勢い」が生じて衝突した対象に危害を与える現象が観察できます。この丸太や石に生じる勢いについて、軍隊の勢いの喩えにしているのだろうと考察できます。その結果、「木と石の転ぶ如くする」は「丸太や石がころがり落ちるに等しく軍隊に勢いを生じさせて動かす」と解読できます。

これら解釈をまとめれば、書き下し文「埶ありて任する者は、民をして戦げしむなり、木と石の転ぶ如くするなり」で「道理を探求して身につけた技術を使う将軍は、人民を使って羊の集まりを導くように軍隊を動かすのであり、丸太や石がころがり落ちるに等しく軍隊に勢いを生じさせて動かすのである」とすっきりとして合点のいく解読文が仕上がります。


さて、「一般的な解釈に対する疑問点」において、「木」と「石」の二種類が記述される理由に対する疑問を挙げましたが、ここまで何ら説明しておりません。その理由は、この句の一つ目の解読文では「木」と「石」の区別がなされていないからであり、「木」と「石」を区別した解読文の出現は、其五5-2の残り七通りの解読文と、次の其五5-3「木石之生、安則靜、危則動、方則止、圓則行」となります。

例えば其五5-2②「石を丸太にころがり落とすに等しく勢いを生じさせた堅固な自軍で脆い敵軍に向かって前進させるのである」とあるように、丸太と石を区別した解読文になっています。

まず、「木」と「石」は兵士(又は人民)の喩えとして用いられていることは「如轉木石」の解釈からわかります。さらに「木」と「石」の違いを考えてみると、固くで壊れづらい石と、破壊しやすい木という性質の違いに気付きます。この性質の違いに気が付けば、「木」と「石」は軍隊の堅固さを表現しているのだろうと推察することができます。

その上で類似した句を探せば、其五1-4①「戦略、戦術を使って敵軍を凌駕する道理は、自分の方に投げられた脆い卵を目にとめて固い木槌で打つに等しく自軍に向かって来る脆い敵軍を認識して固い自軍で打ち破るのであり、充実して堅固な“実”と虚弱な“虚”の正確な判断をするからである」が同じ埶篇にあると気が付きます。

そして「石」と「木」の関係は相対的なものであり、「固い木槌」と「脆い卵」の関係に対応していることに気がつけば、堅固な「石」は固い木槌で表現された「充実して堅固な軍隊」を指し、相対的に脆い「木」は脆い卵で表現された「脆くて虚弱な軍隊」を指すと考察できます。なお、其五1-4は虚実の教えであるため、「充実して堅固な軍隊」は虚実の「実」であり、「脆くて虚弱な軍隊」は虚実の「虚」とわかります。

もう一歩深く説明を加えておくと、軍隊を整える視点において「実」は兵士達が密集して集合している状態であり、「虚」は兵士達の隊列等に隙間が多くてまばらな状態となります。つまり、隊列等の”密度”が軍隊の堅固さを左右するのであり、木と石の物質的な密度の違いに適合していると言えます。そして、丸太も石も転がり落ちる時は同じように勢いを生じるが、「石」のように「充実して堅固な軍隊」の方が強いことを暗示しているのだとわかるようになります。

この解釈は他句で何度も引用されており、自軍は堅固に整えて軍隊に勢いを生じさせて、相対的に敵軍を脆くて勢いが無い状態に変える教えが展開されています。このように軍隊の勢い、虚実の教えを理解するために、とても大切な教えが埶篇の終盤でまとめられているため、興味のある方は是非お読みになってください。

<補足>
「石」を「充実して堅固な軍隊」として自軍、「木」を「脆くて虚弱な軍隊」として敵軍と解釈する点は、火攻篇の教えから考察しても合点のいく定義になっています。
例えば、其十三2-1①「お手本は、敵里等の内部で巧みに仕掛けた火災を生じさせた時、すぐさま正攻法部隊が敵里等の外側から内部に突入するのである」等とあるように、燃える「木」は「火災を仕掛けやすい相手」でやはり敵軍を指しており、燃えない「石」は「火災を仕掛けても効き目がない相手」で自軍を指します。
このように一つの喩えが、異なる喩えによる他句の教えとも整合している点は凄いところだと思います。このように整合する理由は、やはり孫子兵法の教えが、互いに矛盾すること無く機能する”自然の摂理”に基づいているからこそだと感じます。

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