孫子の名言「日に短長有り、月に死生有り」の間違い

孫子兵法「虚実篇」の「日有短長、月有死生」(原文:中國哲學書電子化計劃「銀雀山漢墓竹簡(孫子)」)は有名な名言とは言えませんが、孫子兵法における正攻法部隊と奇策部隊それぞれの役割について理解できる教えとなっています。しかし、一般的な解釈は漠然とした内容となっており、具体的な教えの内容が掴めなくなっています。

参考:其六6-6 日には短きと長き有り、月には死と生有り。

一般的な書き下し文及び解読文

一般的な書き下し文日に短長有り、月に死生有り。
一般的な解読文日の出ている時間には長短の変化があり、月には満ち欠けの変化がある。

一般的な解釈は、日と月には変化があることを説いたようですが、月の満ち欠けはともかく、日に関しては具体的に指し示す現象がよくわかりません。どうやら、一つ前の其六6-5「五行无恆勝、四時无常立」を、書き下し文「五行に常勝無く、四時に常位無し(五行無常勝、四時無常位)」で「木・火・土・金・水の五行でも一つだけで常勝することは無く、春・夏・秋・冬の四季でも一つだけに留まることは無い」といった解読をしており、ここで解釈した”変化”に関する話題が続いているようです。

説明がややこしくなるため、結論を伝えておくと其六6-5は主たる解読文が「敵に対して五倍規模の軍隊にして敵将軍の考えていた計画を強制的に取れば両軍を完全な状態に保って敵軍を抑えるのであり、正攻法部隊の全てを戦地に留めれば敵軍がいつまでも守り続けることは無い」から始まり、「日有短長、月有死生」とは全く別個の教えとなります。

一般的な解釈に対する疑問点

この句に対する疑問点は、「日有短長」を”日の出ている時間には長短の変化がある”といった解釈にしているが、その具体的な現象はどのようなものかがわからないことです。

孫子兵法の戦略、戦術は、其一2-4①「自然の摂理とは、日陰と日なたがあり、寒い日と暑い日があり、時間の流れをつくるのである。順応して推し量れば、優れた戦略、戦術ができるのである」とあるように”自然の摂理”に基づいたものです。

そのため自然現象に関する記述であれば必ず具体的な戦略、戦術の教えが出現しますが、この解釈からは教えが得られない可能性が高いと思われます。

一方、「月有死生」の”月には満ち欠けの変化がある”という解釈は、具体的な現象はよくわかりますが、この現象に基づいた具体的な教えは解説されておりません。そのため、月の満ち欠けについて考察し、教えの内容を読み解く作業が残っていると言えます。

当サイトにおける解釈結果と理由

書き下し文①②日には短きと長き有り、月には死と生有り。
解読文①太陽には低く昇る時期と高く昇る時期が有り、
月には欠ける時期と満ちる時期が有る。

②正攻法部隊には虚弱で脆い軍隊と充実して堅固な軍隊が有り、
奇策部隊には隠れている状態と出撃している状態が有る。

この句は、一通り目の解読文で”自然の摂理”について説き、二通り目でその”自然の摂理”に基づいた戦略、戦術の教えが展開されています。そのため、一通り目と二通り目の解読文を区別して解説いたします。

「日有短長、月有死生」 一通り目の解読文

まずは、この句で描写された”自然の摂理”に目を向けて解読していきます。実は、この句で描写された”自然の摂理”を読み解くことは意外と簡単であり、漢字「短」と「長」の意味を確認すれば、すぐにわかります。その意味は「短」は”低い”、「長」は”高い”であり、漢字「日」は”太陽”の意味があるため、「日には短きと長き有り」で「太陽には低く昇る時期と高く昇る時期が有る」と解読できます。

「太陽には低く昇る時期と高く昇る時期が有る」と解釈すれば、一日の中でも太陽高度の違いはあり、季節毎にも太陽高度は異なるため、誰もが知っている”自然の摂理”を描写していると言えます。

「月有死生」は、一般的な解釈と同様なため、特に説明の必要もありませんが、「月には死と生有り」で「月には欠ける時期と満ちる時期が有る」と解読できます。

「日有短長、月有死生」 二通り目の解読文

二通り目の解読文は、一通り目の書き下し文「日には短きと長き有り、月には死と生有り」のまま、それぞれの現象や状態が指し示す具体的な事柄を明らかにしていくことで解釈を得られます。

まずは、主語として扱われる「日」の”太陽”と「月」の”月球”について確認します。実は漢字「日」と「月」を使った喩えは、この句が最初ではなく、其五2-3「冬而復始、日月是」で登場済であるため、その解釈から紹介します。

(※一般的な原文では「終而復始、日月是也」と漢字「冬」が「終」に置き換えられているため正しい解釈が得られません)

其五2-3「冬而復始、日月是」 四通りの解読文

①冬が訪れて、さらに春が訪れる要因は、太陽と月が規則正しく動くからである。

②太陽と月が規則正しく動けば、冬は植物を枯らすけれども植物が芽生える準備をする。

③月を出現させるに至る太陽は、植物が芽生える準備ができたことを告げる冬のように、隠れている奇策部隊が出撃する準備を整える正攻法部隊である。

④昼間にも規則正しく動いている月は、植物が芽生える準備を意識させない冬のように、出撃する準備を整えて敵に無視させる奇策部隊である。

重要な解読文は③と④であり、これら解釈より「日」の”太陽”は「正攻法部隊」の喩えであり、「月」の”月球”は「奇策部隊」の喩えであることが明らかにされています。これによって「日有短長、月有死生」は正攻法部隊と奇策部隊に関する教えだと確定します。

続いて、漢字「短」と「長」が指す事柄について考察していきます。まず、「短」には“欠点”、「長」には“優れたところ”といった概念があることから、おそらく正攻法部隊の欠点と長所について示唆する教えだろうと推察できます。

その上で、「低く昇る時期」と「高く昇る時期」について、その意味がわかる手掛かりを既出の句から探していくと、少し前に登場した其六6-2①「水が流れる時は、高い位置をかわして低い位置に向かって行くのであり、自軍が敵軍を抑える時は、充実して堅固な敵軍をかわして虚弱で脆い敵軍を攻めるのである」の教えで「高い位置、低い位置」という記述があると気付きます。

そこで、この”水の流れる位置の高さ”が、「短長」で描写された”太陽の高さ”を示していると仮定すれば、「低く昇る時期」は其六6-2①「虚弱で脆い敵軍」を指し、「高く昇る時期」は其六6-2①「充実して堅固な敵軍」を指すこととなり、これを一般化すれば「短」は「虚弱で脆い軍隊」、「長」は「充実して堅固な軍隊」と解読できます。

これら解釈をまとめると「日には短きと長き有り」で「正攻法部隊には虚弱で脆い軍隊と充実して堅固な軍隊が有る」となり、辻褄の合った解読文が仕上がるため前述した仮定は適当だったと判断できます。

次に、「月有死生」について、「死」の「欠ける時期」と、「生」の「満ちる時期」が指す事柄について考察していきます。

奇策部隊は、其五2-3④「出撃する準備を整えて敵に無視させる」とあり、これは予めて隠れている状態を説明しています。つまり、奇策部隊は隠れた状態で敵を待ち受けるのであり、獲物となる敵が近づけば出現するのです。

そのため、「欠ける時期」は奇策部隊が隠れている状態、「満ちる時期」は出撃している状態を示すと考察できます。

ちなみに、月は欠けていても存在しており、その存在が見えないだけです。そのため、「敵には奇策部隊が消えたり、出現したりするように見える」という“心境”を喩えたとも言えます。但し、ここでは客観的な状況として解読した方が良いと考え、書き下し文「月には死と生有り」で「奇策部隊には隠れている状態と出撃している状態が有る」と解読しました。

これら解釈をまとめると解読文①「太陽には低く昇る時期と高く昇る時期が有り、月には欠ける時期と満ちる時期が有る」という自然の摂理から導かれる具体的な教えは、解読文②「正攻法部隊には虚弱で脆い軍隊と充実して堅固な軍隊が有り、奇策部隊には隠れている状態と出撃している状態が有る」になるとわかります。

<補足>
ここでは二通り目の解読文まで紹介していますが、残り六通りの解読文でさらに詳しい教えが展開されています。ご興味をお持ちの方は其六6-6「日有短長、月有死生」をご覧になってください。
また孫子兵法では、このように自然の摂理を描写して、そこから具体的な教えを導いていく句がいくつかあります。中国古典に多くある自然の摂理に基づいた教えについて、より深い理解を得る機会になるかもしれません。当サイトの解釈は一つの参考として、ご自身でも考察してみてください。

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