孫子の名言「人に後れて発するも人に先んじて至る者は、迂直の計を知る者なり」の間違い

孫子兵法「軍争篇」の「後人發、先人至者、知汙直之計者也」(原文:中國哲學書電子化計劃「銀雀山漢墓竹簡(孫子)」)は有名な名言の一つであり、孫子兵法で有名な「迂直の計」の教えがわかる一句となっています。なお、一般的な原文では「汙」を「迂」として「後人發、先人至者、知迂直之計者也」とされており、いわゆる「迂直の計」の教えが正しく解釈できなくなっていります。なお、多くの方がわかりやすいように当ページの本文中では「汙直の計」ではなく、あえて「迂直の計」と表記しています。

参考:其七1-4 人を後ぐに発わしめて、人より先んじて至る者は、汙たらしめて直に之く計を知る者なり。

一般的な書き下し文及び解読文

一般的な書き下し文人に後(おく)れて発するも人に先んじて至る者は、
迂直の計を知る者なり。
一般的な解読文敵よりも遅れて出発しても、敵を利益で足止めさせて、
敵よりも先に戦場に到着する将軍は、
遠回りした回り道を、直進の近道に変える計略を知るものである。

一般的な解釈は、敵を利益で足止めすることによって、敵を油断させるために回り道を選んだ自軍の方が、敵軍よりも先に戦場に到着することとなっており、結果的に回り道は近道になるとしています。このように解釈された内容が「迂直の計」とされて、さらに、日本のことわざ「急がば回れ」に近い意味合いまで拡大されて広まっています。

この解釈に至った理由は、漢字「汙」が「迂」に置き換えられたことが大きな原因と思われますが、「迂直の計」を正しく理解するためにも、一字一句丁寧に確認していく必要があります。

一般的な解釈に対する疑問点

この句に対する最大の疑問点は、遠回りした回り道が直進の近道になるという不合理です。

”自然の摂理”という現実的な現象に基づいて戦略、戦術を説く孫子兵法において、このように不合理な現象を基礎にするとはどうしても思えないのです。

そもそも、物理的に考えれば、回り道すれば直進ではないのであり、これを是とするためには”結果的に近道になったので心境としては直進だった”という心象風景になります。

また、仮に戦場になる場所が決まっていたとして、敵軍を油断させて自軍が遠回りして先に戦場に到着したとしても、その状況を知った敵軍は戦場に行かなければ良いだけの話になります。

さらに言えば、「敵よりも遅れて出発しても、敵よりも先に戦場に到着する」について、目的地となる戦場に対する自軍と敵軍の位置関係は何ら示されていませんが、自軍の方が圧倒的に戦場に近い場合は敵軍より先に到着するのは当たり前の状況もあり得る話となります。

何故か「敵軍を利益で足止めする」意味が補われていますが、この補足の有無に関わらず、記述されている内容は不合理の一言に尽きます。このように考えると、孫子兵法が説く「迂直の計」本来の教えは、一般的な解釈とは全く異なる内容であろうと推察できるようになります。

当サイトにおける解釈結果と理由

書き下し文人を後(つ)ぐに発(つか)わしめて、
人より先んじて至る者は、
汙(う)たらしめて直に之(ゆ)く計を知る者なり。
解読文敵里を手に入れる時、気持ちが通じ合う諸侯に軍隊を派遣させて、
敵軍よりも先制して敵里に行き着く将軍は、
敵軍の進路を妨害して陣地にする敵里に直進する戦略を理解している者である。

「迂直の計」の教えは簡単には掴めない

仮に武経七書「孫子」等の原文ではなく、最初から「竹簡孫子」の原文でゼロから解読し始めても、おそらく「迂直の計」の教えは簡単には掴めないと想像します。当サイトでは「竹簡孫子」の原文を三周にわたって解読作業を繰り返しましたが、一周目で一般的な解釈の「迂直の計」は間違いだろうと気付き、二周目で概要まで掴み、三周目で教えの細部まで掴んだ印象です。

一度で読解できなかった最も大きな理由は、”読解の手掛かり”が複数の句でバラバラに仕込まれていることです。それは軍争篇に限らず、他篇の句にも及び、一見無関係に思えるようなところから「迂直の計」を知る手掛かりが出現してくるのです。

これと相まって、漢字「汙」と「直」には、それぞれ数多くの意味があって解釈の幅がかなり広いため、なかなか一意に決められないのであり、教えに適合した”漢字の意味”に辿り着いても、その漢字の意味が指し示す事柄全てを簡単には掴ませてくれません。

つまり、軍争篇の前半部分だけを何度読んでも「迂直の計」の教えはよくわからないのです。しかしながら、必要な事柄全てを随所から掴んでくれば、結果的に軍争篇の第一句目から、この四句目まで順々に教えを積み上げながら展開して、ようやく「迂直の計」の教えがわかるようになっています。ここでは、なるべく手掛かりに触れつつ、軍争篇の第一句目から要点を解説していきます。

其七1-1「孫子曰、凡用兵之法、將受命於君、合軍聚衆、交和而舍、莫難於軍爭」について

まずは、軍争篇第一句目で記述された「軍争」について理解するところから始めます。そもそも孫子兵法が説く「軍争」に対する理解がなけえれば、何のために「迂直の計」という戦略があるのかがわかりません。

さて、解読文①「軍争」の部分は、書き下し文「争いて軍する」で「先を争って陣取る」と解読します。この解読に込められた意味は、侵略戦争において敵国の里等を奪い取って陣地を得ることです。

この解釈に辿り着く手掛かりとなった句は、其七3-3「不用郷道者、不能得地利」です。この解読文①は「都市以外の敵里を経由して治めない将軍は、陣地を手に入れることを利点と思うことができない」となり、前述の「先を争って陣取る」とは敵里等を陣地にすることだとわかります。

なお、一般的な解釈では漢字「道」が「導」に置き換えれており、書き下し文「郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず」で「土地に詳しい案内役を使わない将軍は地の利を得られない」といった解釈がされているため、この解釈を得るのが難しくなっています。

整理しておくと、第一句目で大切な事柄は、侵略戦争において敵国の里等を奪い取って陣地を得ることです。

其七1-2「軍爭之難者、以汙為直、以患為利」について

次句は、其七1-2①「敵国の里を奪い合って陣取ることが難しい理由は、陣地にする敵里を経由して自国による統治をその人民に認めさせる時、巧みに敵軍からの攻撃を制止する必要があるからである」という解読文になり、「軍争」が難しい理由が記述されています。

要は、敵国の里を奪い取って陣地にしようとすれば敵軍から妨害されるため、簡単な任務ではないということです。

この其七1-2を解釈する時は、事前に其七4-3「掠郷分衆、廓地分利、縣權而動」で①「敵里を奪い取れば多人数の正攻法部隊に割り当て、陣地を開拓して統治して兵糧と飼料を各部隊に配分するのであり、開拓した陣地を繋ぎ止めて全軍の権勢が生じれば、自軍が行動し始めた時、敵軍に危険を感じさせることができるのである」の解釈を得て、孫子兵法の基本戦略を掴んでいる必要があります。

<備考>
「迂直の計」の全体像を把握していない状態で、この基本戦略を読み取れる句は、其七4-3以外には無いかもしれません。

この基本戦略を知っておれば、漢字「直」は“思いのかなう場所”の意味を採用して、陣地にすることで敵軍を恐れさせる利点となる「敵国の里等」を指すと考察できます。但し、解読文では話の流れ合わせて「陣地にする敵里」としています。

また、漢字「汙」については、其七3-3①「都市以外の敵里を経由して治めない将軍は、陣地を手に入れることを利点と思うことができない」の解釈を得ていることで、「敵里を経由する」ことを“曲がっているさま”の意味で表現していることがわかります。この意味するところを一般的な「迂直の計」らしく説明すれば、敵国の本拠地へ直進するのではなく、回り道をして敵里を経由することと言えます。おそらくは、一般的な「迂直の計」においても、敵里を経由して陣地にする意味合いで漢字「迂」を使っているのではないかと思われます。

もう一点、漢字「患」には“攻撃”の意味があるため、敵里を経由して陣地にしようとする自軍に対して、敵軍が攻撃を仕掛けてきて妨害する文意であることは簡単にわかります。それ以外の漢字の意味は其七1-2「語句の注」を参照してください。

整理しておくと、第二句目で大切な事柄は、敵国から里等を奪い取って陣地を得ようとすると敵軍から妨害されることです。ここまで解釈すると、敵軍による妨害を阻止するために「迂直の計」を使う流れが見えてきます。

其七1-3「故汙其途、而誘之以利」について

ここまでの解釈によって、敵軍による妨害を阻止するために「迂直の計」を使う流れが見えていると思います。そして、次句は其七1-3①「敵軍の進路を妨害する戦略は、将軍が、気持ちが通じ合う諸侯を教え導くのであり、分岐路にある瞿地に布陣させて利点を得る」という解読文になり、これが「迂直の計」です。

其七1-3①「解読の注」では、其七1-2②に基づいて解読したと説明していますが、これは整理した結果であり、実際に解釈の手掛かりを得た句は他にあります。

その主な句は、其八1-1①「瞿地合交」の「分岐路にある「瞿地」は気持ちが通じ合う諸侯によって完全に塞ぐ」です。この解読文では漢字「交」は”友人”の意味を採用して「気持ちが通じ合う諸侯」と解読していますが、この解釈は其十一1-6②「諸侯之地三屬」の「将軍は、気持ちが通じ合う諸侯を戦地「瞿地」に到達させた上で、三つの敵里等を服従させるのである」で確定します。

さらに、其八1-1「瞿地合交」の教えは其八1-1②「分岐路にある「瞿地」を気持ちが通じ合う諸侯によって完全に塞げば敵軍を驚き恐れさせる」、其八1-1③「分岐路にある「瞿地」から敵国と連合した諸侯が出現して自軍は驚き恐れる」と展開されること、そして、分岐路という「瞿地」の特徴について考察します。すると、敵軍による妨害を阻止する時は、分岐路にある「瞿地」に諸侯が布陣して敵軍の進路を妨害するのだろうと推察できるようになります。

<補足>
「瞿地」は分岐路にあるものとし、その分岐路は道路にあるものです。そして、道路は人の動きという”人流”をつくる場所です。漢字「汙」に”滞って流れない水”の意味がある点から見ても、「瞿地」に諸侯を布陣させれば道路の人流を滞らせる結果になるため、「敵軍の進路を妨害する」意味に繋がることが認められます。

これら解釈に基づけば、前半部分「故汙其途」については、「其の途」は、基本的に「其」は敵の代名詞として扱われることを踏まえると「敵軍の進路」となり、「汙」の“物事を損なう”の“物事”は「敵軍の進路」を指すと解釈すれば「(敵軍の進路)を妨害する」と言い換えることができるため、「敵軍の進路を妨害する戦略」と解読できます。

<補足>
漢字「其」は、孫子兵法の中で定義が明示されているわけではありませんが、代名詞として扱う時は「敵の代名詞」になることが全篇を解読した結果からわかっています。

後半部分「而誘之以利」については、「而」の”あなた”は「迂直の計」を指揮する存在として将軍を指すと解釈し、「之」の”彼ら”は前述の解釈結果より其八1-1①「気持ちが通じ合う諸侯」を指すと解釈し、「以」の“留める”は前述の解釈結果より「分岐路にある瞿地に布陣させる」ことを指すと解釈できるため、結果、「将軍が、気持ちが通じ合う諸侯を教え導くのであり、分岐路にある瞿地に布陣させて利点を得る」と解読できます。

整理しておくと、第三句目で大切な事柄は、「迂直の計」は敵軍の進路を妨害する戦略であり、気持ちが通じ合う諸侯を分岐路にある瞿地に布陣させて利点を得ることを掴むことです。

其七1-4「後人發、先人至者、知汙直之計者也」先人至者、知汙直之計者也」について

「後人發、先人至者、知汙直之計者也」を解釈するために大切な事柄について、おおよその説明を終え、いよいよ本番です。

本番と言っても、実は軍争篇の冒頭三句で解釈した結果を、この句の漢字に積み上げていくだけであり、ほとんどパズルのような感じで解読文が仕上がります。

逆を言えば、冒頭三句を解釈できていない場合は、解読困難な一句になっていることがわかると思います。

さて、後半部分が「知汙直之計者也」となっており、何となく「迂直の計」を”理解している将軍”といった意味になるであろうと推察できます。すると前半部分の「後人發、先人至者」は、おそらく「迂直の計」の概要を説明していると察しがつきます。

このように文意を掴めば、「人を後(つ)ぐ」で”民衆を継承する”の意味となって其七1-1敵国の里等を奪い取って陣地を得る」を指し、「発(つか)わしむ」で”派遣させる”の意味となって其七1-3気持ちが通じ合う諸侯を分岐路にある瞿地に布陣させる」を指すと考察できます。結果、「敵里を手に入れる時、気持ちが通じ合う諸侯に軍隊を派遣させる」と解読しました。

続いて、「先人至者」は素直に解読すれば良いだけですが、「人より先んじて至る者」で「敵軍よりも先制して敵里に行き着く将軍」と解読できます。ここまでの解釈内容を読んだ方であれば、すんなり理解できると思います。

そして、「知汙直之計者也」については、書き下し文を「汙たらしめて直に之く計」とすれば、“滞って流れない水にさせて思いのかなう場所に赴く策略”の意味となり、漢字「汙」の“滞って流れない水”は其七1-3敵軍の進路を妨害する」を指し、「直」の”思いのかなう場所”は其七1-2「直」同様に解釈した陣地にする敵里」を指すと解釈できます。

さらに、「之」の”赴く”は、其七1-2で得た「敵国の本拠地へ直進するのではなく、回り道をして敵里を経由する」で得た解釈に表現を合わせれば、目的地である「陣地にする敵里」に自軍が直進することと考察できます。念のため注釈しておくと、敵国の視点からは自軍は敵里を経由して回り道しているが、自軍の視点から見れば、そもそも目的地は敵里であるため”直進”の表現が相応しいと判断できます。

これら全ての解釈をまとめると、書き下し文「人を後(つ)ぐに発(つか)わしめて、人より先んじて至る者は、汙(う)たらしめて直に之(ゆ)く計を知る者なり」で「敵里を手に入れる時、気持ちが通じ合う諸侯に軍隊を派遣させて、敵軍よりも先制して敵里に行き着く将軍は、敵軍の進路を妨害して陣地にする敵里に直進する戦略を理解している者である」と解読できます。

<補足>
たいへん説明が長くなってしまいましたが、これで「迂直の計」の”概略”が掴めたと思います。しかしながら”概略”しか掴めていないとも言えます。細部を理解するためには、孫子兵法を一通り読み通すことをお薦めします。そうすれば、孫子兵法における「迂直の計」の位置付けや、他戦略との関連性がわかり、より深い理解に繋がっていくはずです。その手始めとして、まずは其七1-2から其七1-4までの三句の残り三通りの解読文を読んでみてください。

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